言霊の幸わう国

本と戯れる

 分厚く片手では決して持てない、「モダンタイムス(特別版)」との格闘が終わった。

 思いもよらぬ偶発で特別版を手にし、通常版をちらちらと本屋で目にしながら思ったことがある。
 一体、本とはなんなのか。

 ずっと本を読み続けて、今までわたしが思っていたのは、書かれている文章に力があればそれでいいということだった。
 そういうものが、自分を惹きつけてやまないのだと疑いもしていなかった。

 わたしは目に入るものはそこにあって当たり前だと捉えていることが、多い。
 だから見落とす。
 大事なものの、そうでないものも。


 先日「情熱大陸」で、本のソムリエと称されたブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)という人を初めて知った。
 番組の中では、ホテルや結婚式場などの本棚に様々なタイプの本をディスプレイする姿が紹介されていた。
 それは、本と戯れているように見えた。

 彼はドイツで訪れたアート系の書店で、「あー、ここに住みたい」と洩らしていた。
 本が持つ無限の楽しさを知っている人。
 わたしも彼のように抱きしめるようにもっと本と戯れたいと思った。


「モダンタイムス(特別版)」を読む間、何度も思い出していた人がいる。
 以前にやはり「情熱大陸」に登場した、装丁家の鈴木成一だ。
 わたしはその番組で、初めて装丁家という職業のなんたるかを、知った。

「モダンタイムス(特別版)」の挿絵に文字の大きさ、そして本の厚さ。カバーの質感、紙質。
 どれをとっても、そこからはいつもの伊坂幸太郎の作品にある品のいいドライさが感じられず、もぞもぞするような感じがした。
 間違って買ったのは自分のせいなのだけれど、これが通常版だったらわたしはこの作品をどんなふうに読み進めただろうと考えずにはいられなかった。
 装丁の意義はそこにあるのだ。

 特別版を否定するつもりはない。
 でもやはり人には好みがあり、入りやすい入口の形があったり、出やすい出口の形があるものだ。
 今回、どちらかというととっつきにくいほうを選択したおかげで、自分が今まで無意識に数々の本と接する中で文章以外のものから掬い上げていたものがたくさんあったかを知ることができた。

 装丁が気に入らなくて何年も素通りしていた本がある。
 読んではみたものの文字の大きさや行間に違和感を感じて、損をしたような気になった本がある。
 本の厚さと文字の大きさのアンバランスに、もったいなさを感じた本もある。

 いつもひとくくりにしているものの、実はそこに凝縮されているいくつもの構成物質からわたしは快楽を得ていたのだなと今さらながらに思った。
 今わたしの手元にある本たちは、いろんな人の手を介してやってきた。
 そのことに、感謝したい。


 戯れる楽しさを思い出したら、遠ざかっていたあの人のことを思い出した。
 本の神さまが、久しぶりに近づいてきている。 
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by fastfoward.koga | 2008-11-05 21:48 | 一日一言