言霊の幸わう国

14年を経て

 阪神大震災の起こる数時間前、わたしは17日の10時提出締め切りのレポートを書いていた。
 仕上げたのは、ちょうど日付が変わるくらい。眠るときにあと6時間眠れると思った覚えがある。
 けれど結局は5時47分に起こされることになった。
 1度ドーンと突き上げるような揺れがあり、そのあと強い横揺れがやってきた。
 ふとんの中で目をぱっちり開けたまま身動きひとつとることができず、倒れてくるものがないか素早く見たあとはじっと揺れがおさまるのを待ちながら、頭の中で大事なものが今どこにあるかを反芻していた。
 揺れは、永遠に続くかのように思えた。

 地震の際ちょうどベッドのそばに立っていたハハがあまりの揺れの大きさに気味悪がり、自分の部屋を出てハハのそばでテレビのニュースを見ていた。
 まだ眠い、まだ寝たい。そんな思いとなにかが違うという思いで、目を閉じたり開けたりをくり返していた。
 起き上がったのは、7時前だっただろうか。
 大学へ行く支度をしながらニュースをチラチラ見ていたら、阪急もJRも神戸方面は運休だという一報が流れた。
 けれどその時点ではまだ提出期限の迫ったレポートのことばかり考えていて、単位がどうなるのか、そんなことを気にしていた。

 夜が明け、外がすっかり明るくなっても余震は続いていた。
 何度目かの余震のときに、キッチンカウンターに思わず掴まった強さの揺れもあった。
 そんな中、つけっぱなしになっていたテレビから深江の阪神高速が落ちたというニュースが流れた。
 わたしはその時点でも、まだ事の大きさがわかっていなかった。
 次々と被災地の状況が詳細に伝えられていても、まだ学校は1週間程度休校するくらいだろうと思っていた。

 あのころの関西、特に大阪を中心とした京阪神の都市部はそれぞれちぐはぐな空気を纏っていた。
 電車はどのくらいで動き出したのかもう覚えていないけれど、大阪から西へ向かうと車窓の景色には現実味がなかった。
 逆に大阪市内を含め東へ向かうと、地震の跡などどこにも見当たらなかった。町の様子も人も、なにもかも。
 地震から1年。卒業するまでの間、その違いを見つめながら大学へ通った。
 わたしはそれを見て、ただ途方に暮れるだけだった。なにひとつできなかった。

 今でも通学で使っていたJRで神戸へ出かけると、地震の前の風景と地震のあとの風景と今の風景とをたぶらせる。
 被災した人たちの傷は、なくなることはないだろう。でも少しでもその傷を癒せる町や世の中になってほしいと思う。
 この日に対して抱く後悔は、もう役には立たない。自問も無駄。
 残るのは自答。忘れないことだけじゃなく、自分にできることはあるか?
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by fastfoward.koga | 2009-01-17 20:45 | 一日一言 | Comments(0)