言霊の幸わう国

岩手懐古・録  【懐古の町】

 花巻農業高校を後にし、わたしたちはバスを乗り継いで今度は宮沢賢治記念館と童話館を目指した。

 宮沢賢治記念館口でバスを降りると、驚くような坂が待っていた。
 あとで乗ったタクシーの運転手さんがこんなに雪がないのは珍しいというくらいだったからよかったものの、それは、道が雪に覆われていたら滑って上れなかっただろうと思うような傾斜のある坂だった。
 Y嬢とひーひー言いながら坂を上りきり、息が上がったまま記念館へと入った。

 中には賢治が愛用していチェロや直筆の原稿、あとはプラネタリウムのようなドームがあった。
 坂を上った疲れが引き金になったのか、ここがわたしの眠気のピークで、ガラスの中の展示品やパネルの文字を追っていると睡魔がどんどん押し寄せてきた。
 見たいのに眠い。眠いけど見たい。
 もーあかん、と思ったところに賢治の書いた童話のスライドがあり、とりあえずそこに腰を下ろした。
 そして後から来るY嬢を待ちつつ、わたしはいくつかある童話の中から「注文の多い料理店」のボタンを押し、スライドを見始めた。

 空港とホテルで読んでいた話がそのまま朗読され、それに合わせて絵がスライドされてゆく。
 途中まで薄目を開けて見ていたけれど、とうとうその心地よさに負けて最後は目を閉じてしまった。
 あとでY嬢に、寝てたやん、と突っ込まれたので、あまりのきもちよさに、と言い訳をしておいた。
 ほんとうはもっとシャンとしていたら、ひとつひとつをゆっくり堪能するところだけれど、1日目の夜ほどではなかったもののやっぱり熟睡度が低かったせいか、睡眠不足がこんなところで足を引っ張ってしまった。
 旅の体調管理の大切さを、改めて感じた一瞬だった。

 記念館を足早に見て回ったあと、向かいにある山猫軒のおみやげをちらっと覗いてみた。
 お昼はどうしようかと言いながら急斜面の坂を下り、話していた白金豚のお店はランチの時間に間に合いそうにないと諦め、バス停のそばにあったそば屋さん、なめとこ山庵に入ることにした。
 Y嬢もわたしも、実は期待していなかったそのお店。
 ざるそばがウリのようだけれど寒いからと、温かいおそばを注文した。
 これが啜ってビックリ。
 おそばはもちろんのこと、おだしがおいしいことおいしいこと。
 京都人なので、わたしは濃い味付けのおだしは決してヨシとしないのだけれど、Y嬢とふたり顔を見合わせておいしいおだしだと言い合うほどだった。
 
 おいしいものでお腹を満たしたあと、次は歩いて数分のところにある宮沢賢治童話館を目指した。
 ここもゆっくり見たいところだったけれど、花巻の最後に行こうと思っていた花巻温泉へのバスの時間を気にするあまり、かなり早足で見てしまった。
 あとあと考えれば、タクシーで行ってしまえばよかったのだけれど、なんせ睡眠が足りていないときのわたしの頭は通常の7割も動かないので、もったいない時間の使い方をしてしまった。
 童話館は人が少なく、ゆっくり見られるいいチャンスだったのに、ほんとうにもったいなかった。
 それでもこれだけは! と、ガイドブックを見て欲しいと思っていたデクノボーこけしはちゃんと買って帰って来た。

 結局当初予定していた花巻温泉に向かうバスには乗れなかったので、仕方なく童話館の前のロータリーから看板に書いてあったタクシー会社に電話をし、温泉に行くことにした。
 やって来たタクシーに乗って花巻温泉へ、と行き先を告げると、運転手さんから温泉ならもっといいところがあるよと言われ、Y嬢とアイコンタクトした末、お薦めされた温泉に行くことにした。
 そこは花巻温泉から少し離れたところにある新湯本温泉の美翠園という宿で、運転手さん曰くお湯が花巻温泉よりもいいという温泉だった。
 立ち寄り湯は400円で、花巻温泉がどんなものかがわからないから比較のしようはないけれど、確かに泉質はよさそうだった。

 露天風呂は広々としていた。
 ひんやりした外の空気とのギャップがきもちよく、旅の疲れを最後に落とせたような気がした。
 温泉はやっぱりいいなーと、Y嬢とふたり広いお風呂で思う存分手足を伸ばした。

 帰りは同じタクシーの運転手さんに電話して迎えに来てもらって、花巻駅へと戻った。
 ロッカーに預けていた荷物を取り出し、再びバスに乗っていわて花巻空港へ。
 出発時刻にはかなり早かったけれど、早々にチェックインを済ませて身軽になったあとは空港の展望台に上がってみた。

 手すりにもたれてときどき飛び立つ飛行機と降り立つ飛行機をY嬢とふたり見ていた。
 いわて花巻空港はそれほど離発着がある空港ではないので、それ以外は遠くに見えるスキー場の灯りや、星を眺めていた。
 薄紺だった空はだんだん濃紺へと変わり、自分たちが見ている明かりが飛行機なのか星なのかだんだんわからなくなり、地に足を着けているのにどこか漂う自分を感じていた。

 寒さと我慢くらべをするように1時間ほど空を見上げ、中に入った。
 そうして、わたしたちは花巻を発った。
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 伊丹空港へ着いてから、随所に感じていた物足りなさをひとり振り返っていた。
 正直、歩き回る中で、盛岡や花巻の町の空気を充分に吸い込んだとは思えなかった。
 けれど、残った思いはそれだけではない。
 それがなんなのか、帰ってからも探っていた。
 そしてこうして書き始めて、盛岡や花巻の町に感じたのは懐かしさだったことがわかった。

 それは単なるノスタルジーではなく、もっともっと昔に、わたしがわたしでなかったときにまで遡るくらい昔に感じた記憶。
 呼び起こされたのは細胞レベル。それくらいに思える。

 物足りなさは、必ずいつかその地へ自分を導く原動力となる。
 わたしはあの場所に、また行く。
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by fastfoward.koga | 2009-03-29 20:23 | 旅行けば