言霊の幸わう国

スロー

 ユニコーンのライブ直前と直後、会場にはキヨシローの歌声が流れた。
 1曲目ではどよめきが、その後曲が終わるたびに拍手が沸いた。
 あの愛と哀愁を帯びたしゃがれた声。
 昨日の告別式の映像は、見ていて悲しくなった。
 訃報を聞いたとき抱いたのは、寂しさだった。
 数日間でどんな化学反応が起こったのか自分のことながらわからないけれど、大勢の人が悲しむ姿はほんとうに悲しい。

 死期は、知っているほうがいいのだろうか。
 最近、そんなことをぽつりぽつりと考える。
 きっかけは伯母だ。
 訳あって、今まで会ったことも話したこともない伯母。
 恐らく、伯母が亡くなってもそれは変わらない。
 血の繋がりのある人の死を、今静かな波のように遠くに感じたり近くに感じたりしている。

 伯母の人生とは。
 親から聞いた話からだけで、伯母がそのときどきどんなことを思いながら捨てたり取ったりしてきたのだろうかと、わたしは想像する。
 間違ったことをしていたと思っていたとしても、いやいやあれは自分が選んだことだと思い直してくれていればいいなと思う。

 人は、なにを糸口に取捨選択の決断をするのだろうか。
 導かれるものが見えるのか、鐘でも鳴るのか、道がさっと開くのか。
 これだと思う合図が、本人にだけわかるやり方で示されでもするのか。
 少なくとも自分は、今までそういうことはなかった。
 時にはわからんわからんと思いながらも選び、時にはお手つきせずに颯爽とさらってきた。
 そういう選択が意識的かどうかより、選んだ事実を認めることが重要なんじゃないかという気がする。
 というか、してきた。

 電車のドアにもたれ、そんな考え事をしていた。
 空を見上げると、固まりでもない筋でもない雲がなにかを形作っていた。
 あるものに見えそうで見えない。
 首を傾げても、目を細めても、答えには行き当たらない。
 そこで、ああ生きていく末に死ぬことがあることも同じなのだなと思った。

 ユニコーンのライブ終了後、流れていたのはRCサクセションの『スローバラード』
 時間は流れる。誰にでも容赦なく。
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by fastfoward.koga | 2009-05-10 20:03 | 一日一言