言霊の幸わう国

基本神話崩壊

 今日は午後から電話会議がふたつ。
 午前中は会議資料を送信したというのに、どんでん返しで急遽差し替え。
 時間があればこんこんと話を詰めたいところだったけれど、時間はない。
 大きな塊のまま、ごくんと飲み込んだ。

 会議が始まると、わたしが必要以上の熱を込めずに説明したその箇所を、やはり確認する声が上がった。
 1度ならず2度。
 そりゃそうだよなあと、心の中でつぶやいた。
「基本はあくまでも基本で」
 こっちは声に出したが、虚しく響いたような気がした。

 今朝電車の中で、参考書だかノートだかを膝の上に広げている女子高生を見かけた。
 おじさんに挟まれたシートでペンケースを取り出して直し、その次に電子辞書を取り出しなにかを検索し始めた。
 そこでふと先月中旬ごろに読んだ朝日新聞の記事を思い出した。
 それはずっと書こうと温めていたことだった。

 わたしはまったく知らなかったことだが、最近の学生の中には電子辞書を使う子が増えているらしい。
 公立高校でも入学して購入するよう言われたという声も、その記事には載っていた。
 例えばジャパネットたかたのような番組を見て、あれを買うのはお年寄りと邪魔くさがりなのだというイメージを持っていた。
 でも今は違うのだ。
 ポケベルも携帯電話もなかった時代に高校生だったわたしは、どうも古臭いらしい。

 電子派、紙派、互いに意見はある。
 電子派は断然軽い、そして便利。
 確かに電子辞書は紙の辞書に比べれば高いけれど将来の投資、こどもが欲しがっても勉学意欲だと思えばいいという。
 一方の紙派は、辞書を引く手間や苦労が「将来の糧になる」、目的以外の欄を見て発見があるという意見。
 どちらかと言えば、辞書を紙派などと言うことすら抵抗のあるわたしとしてはがんばれ紙派! と言いたいところだが、時間が無限でないことを身に沁みている立場としては一方的にもなれないなと考え直したりする。

 そんなふうに新聞からの問いに頼まれてもいないのに真正面から向き合っていたら、難しいと朝から頭を抱えてしまった。
 でもそこはさすがに新聞記事。
 ちゃんとオチがついていた。

 20歳の女子大生は、中学生のころ先生から「英文の読解力を上げるには多読と精読がいい」と言われたからと、「多読は電子辞書」「精読は紙の辞書」と使い分けているらしい。
 なんという頭の良さ! と広げた新聞を目の前にして、思わず手を打ちそうになった。

 けれどそのあとすぐに過ぎる疑問。
 果たしてそんな使い分けができる頭の良い人間がどれだけいるというのだろう。

 基本は基本。
 でもそれは絶対ではない。
 やっぱり腑に落ちないのは、そこなのだ。
 基本って、そんなに緩いもんだっけ。
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by fastfoward.koga | 2009-08-18 22:05 | 一日一言