言霊の幸わう国

その日

 物心ついたころから、ときどき穴に落ちる日がある。
 そういうときは朝から違和感があって、なんとなく人の輪の中でももぞもぞして、ひとりになりたいなと実際なったらそこからはもう坂道を転がるように、ストン。
 それはもう、自分の力など発揮する隙もない。

 昔は、それもずっと昔は、落ちるのはいやだと抵抗もした。
 でも大人になるにつれ、あぁまたあれがきた、と落ちてしまうことを黙って受け入れるようになった。
 1日、いや1晩だけかかる風邪みたいなもんだと、学んだのだ。
 それからは、そういう夜は夕飯を食べたあとはひとり部屋にこもって、わーんと泣いた。
 文字どおり、わーん。

 部屋の扉を閉めるととたんに涙が出て、たいていは電気もつけずにじーっと座って、涙を絞り出すように流した。
 音楽をかけることもあったけれど、そういう場作りなどほんとうは必要なく、逆に家族のたてる物音を聴いているほうが寂しさが募ったものだ。
 10代のころは、そういうとき、なんて自分は孤独なのかと真剣に思っていた。

 大人になって少しは処世術を身につけたのか、だんだんそういう夜も、するりとかわすことができるようになった。
 今はもう、この間がいつだったのか思い出せないくらい訪れていない。
 大泣きなんて、失恋したときくらいだ。
 それ以外で、しかも理由もなくわーんなんて泣くことはない。

 でも、今日はその日だった。
 朝からきもちがくさくさして、そういう自分にまたくさくさして、だったらこれ以上くさくさしなけりゃいいのにとくさくさする悪循環にはまっていた。
 自覚はあったのだ。
 でも、自分ではその日だとは気づいていなかった。

 気づいたのは、ぼーんやり、駅からバイク置き場まで歩いて信号待ちをしていたときだ。
 向こうから春から通い始めた美容室の男の子が歩いてくるのが、見えた。
 その子には一度も接客してもらったことはなかった。
 わたしは、きっと黙って通り過ぎるだろうと思っていたからこそ、通り過ぎる前に、暗い横断歩道の前でその子に視線を送ったのだ。
 そうしたら彼はわたしに気づき、少し首をすくめて「こんばんは」と声をかけてくれた。
 でも、驚いたわたしはの「こんばんは」は喉の奥で鳴っただけで、笑顔を作って見せるのが精一杯だった。

 それだけのことで、ほおっと体の力が抜けたのがわかった。
 そして、じわじわとあとからあとから、今日がその日だったのだと気づいた。

 今でも部屋の灯りを消して、パソコンの電源も落として、イスの上で膝を抱えたら、準備完了と泣けそうだ。
 でも今夜は泣かずともよい。
 孤独も寂しさも、喉の奥でもうすっかり消えてしまったのだから。
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by fastfoward.koga | 2009-09-29 22:06 | 一日一言