言霊の幸わう国

グッドモーニング

 何の曲のときだったか、くるりのライブをいったい何本見たのだろうかと考えた。
 考えただけで本数など数える余裕も自信もないからすぐやめたのだけれど、『リバー』だったか『ばらの花』だったかのときに、ああわたしはほんまにくるりがすきなんやなと実感した。
 ライブを見ていてそう思うのは、久しぶりのような、久しぶりではないような。
 大きな音に包まれながら、ちょっと意識が体から抜け出すような感じがしていた。

 今回「とろみを感じるツアー」は2日とも、席は前から4列目。
 1日目がかなりさとちゃん寄りで、2日目はほぼど真ん中。
 おかげで厚生年金会館が小さく感じた。
 ありがとう、純情息子よ。

 1日目とは若干セットリストが替わったことで新鮮さと、でも期待していたところはそのままと、ふたつのとろみをおいしくいただいた。
 不思議なもので流れはほぼわかっているのに、前日とは違う曲にきもちが持っていかれてしまったりして、今日もやられたなあと思って見ていた。

 ライブも終盤にさしかかったあたりから、このいつもと違うよさはなんなんかと、小さく歌を口ずさんでは考えていた。
 なんやろうなんやろうと、感覚の抽斗から似たものを引き出しては違うなあと戻し、これかなあとまた引き出しては感覚を着せ替えするようにぴったりくるものを探した。
 2日目も1日目と同じように、ものすごく大きいところでたくさんの人の中で立っているのに、うちで聴いている感覚はなくならず、そんな状況になったこともないのに、丸いオレンジのホットカーペットの上で、しかも毛足の長いカーペットで、ごろんと寝転がったり伸びをしたり頬にその毛足が当たるのを感じながら、でもどうも違うと膝を抱えて座りなおし、その膝に顎を乗せて目を閉じるとちょっと落ち着く感じがしたのだけれど肩のあたりがスースーして、ジャージを1枚羽織って同じ姿勢を取り直したら温かくなり、スーッと開放感と安心感に全身が包み込まれたような感じで、やっと今自分がとるべき姿勢を手に入れた。
 ・・・ときのような感覚のライブだと、結果認定した。

 相変わらず『ロックンロール』と『ばらの花』では泣きそうになり、もう何度となく聴いた『東京』は何度となく思ってきたように今日のが1番やと思った。
 おそらく会場の制限なのだろう、きっちり2時間で終わる一抹の寂しさを名残惜しさに、そして次への糧へと変えて、友人K嬢と外へ出た。
 風がもっと冷たいかと思ったけれど、そうでもなかった。
 そして、誰かとライブ後の興奮を共有できることに喜びを感じながら、ビールを味わい帰路に着いた。

 今朝は起きてから、昨日演奏されたわけでもないのに、なぜか『グッドモーニング』が無性に聴きたくなった。
 たぶんこの曲から漂う暗がりの肌寒さと開放感とゆるりとしたほのかに漂う幸福感が、昨日のライブの空気と重なったのだ。
 幸せとは、ほんとうはささやかでちんまりしたものなのかもしれない。 
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by fastfoward.koga | 2009-11-14 12:19 | 一日一言