言霊の幸わう国

飴を転がす

 自分が書いたものについて言葉をかけてもらえるのは、ありがたい。
 ひとりでこつこつ書いていてもどこかに限界はあり、人に読んでもらうことは世界が広がる。
 それは賞賛でなくても、変わらない。

 とは言うものの、褒めてもらえるとそれはもう素直にうれしい。
 ほっとするし、よかったと思う。
 でもその歓喜の波をひと越えすると、いつも考えることがある。

 かけてもらった言葉を形や色、目に見えるものに表わすことができないのかと。

 よかったよと言ってもらった言葉をそのままごくんと飲み込んで、血や肉に変えてまた次を書けばいいものを、わたしはふとそこで立ち止まってしまう。
 人と比較することでしか自分の立ち位置を確認できない性格は、こういうところで自分に壁を作りその先を阻ませる。

 言葉はそれ自体で意味を持つものなのに、なぜかそれをまた別の表現に変えようなどそれこそ無意味なことなのだが、相手の発してくれた言葉が自分が受けたままの重さや感触でいいのだろうかと正直悩む。
 誰よりも褒めてほしいと思っているわりには褒められるのが照れくさく、うまく受け取れない不器用さ。
 それに加え、自分がなにかを表現するときに言葉しかないとわかっていても、心のどこかで抱いている形あるものを造り出すことへの憧れ。
 そういうものが、自分をがんじがらめにする。

 もっとシンプルになれればいいのになと、思う。
 うれしいひと言を、飴玉みたいに口の中でコロコロ転がしてただ味わえたらそれでよいというのに。
 自分の扱いにくさに、我ながらため息。 
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by fastfoward.koga | 2009-11-18 22:07 | 一日一言