見送り
2010年 01月 08日
旅に出る日の朝は早い。
今年の二月に岩手へ友人と旅に出るその日も、わたしは五時に起き出し、仕事が休みの両親を起こさないよう支度を始めていた。空港行きの乗合バスが家の前まで迎えに来るのは、六時一〇分。着々と準備を進め、五分前には玄関でスタンバイしていた。
表で車のエンジン音が聞こえ、玄関扉にはめ込まれたガラス部分から外を覗きこんだと同時だったろうか。階段を下りるスリッパの音が聞こえた。
父だろうか母だろうかと思いながら、履いていたジーンズの裾を折りたたみ、冬旅用のラバーブーツの中に押し込んだ。けれど、チャイムを鳴らされないようにとあわてたせいか、足がなかなか入らない。少し足を浮かせて力まかせにラバーブーツを引っ張り上げたら、勢いあまって後ろへひっくり返った。キリリと冷たい床に背中をつけたまま見上げると、そこには父が立っていた。
なんとなく、起きてきたのは母のような気がしていた。だから、なんだお父さんかと内心思った。
「いってきます。」
早いねとか、寒いねとか、もう迎えにきたわとか、短い言葉がいくつも頭を過ぎったけれど、結局それしか口にできなかった。
「気をつけて。」
そのままトイレに入るかと思いきや、父は扉を開いたわたしの後を追ってきた。
ああ、新聞だろうかとお迎えのドライバーさんに会釈だけし、ポストから新聞を取り出した。裸足に寝巻きでは寒いだろうと素早く手渡したが、父は後ろへ下がらなかった。
バスの中から振り返ると、まだ玄関先で立っている。その顔に向ってもう一度「いってきます」と口だけ動かしたところでバスは走り出し、普段はそんなことをしないのになぜかわたしは小さく右手を振った。
こどものころ、朝仕事に出る父を見送ったことがある。あれは小学校の三、四年生くらいだっただろうか。今の家ではなく、以前住んでいた家でのことだ。
一般的に見送りなど珍しいことではないのかもしれないが、父は朝必ず卸売市場にある店に顔を出していたので、毎日五時半には家を出ていた。父が勤めているのは、折箱の製造販売の小さな会社だ。古希を迎えた今も出勤日数は少し減ったものの現役で、料理屋さんで使う木の折箱を作っている。
その日は、ちょうど父が出る時間にふっと目が開いた。耳を澄ますと、階下から両親の話す声が聞こえてきた。真冬ではなかったが、ふとんから一度抜け出してまた眠るにはためらう季節だったのでどうしようかとほんの短い時間思案したあと、わたしは部屋を出て階段の一番上に座り込んだ。
まっすぐで急な階段だったので頭を傾け覗き込むと、父はもう靴を履いて三和土に降りていた。手前には母が立っていて、なにか言いながら父へカバンか荷物を手渡していた。
「いってらっしゃい。」
両親の会話を遮るように声をかけると、ふたりが振り返った。
「いってきます。」
父が想像以上にうれしそうな顔をして見上げたので、わたしは満足してふとんに入り、再びすとんと眠りについた。
その家から引っ越したのは、高三のときだ。
今の家の玄関は、やたら広い。吹き抜けになっているから余計にそう感じるのかもしれないが、扉は二メートル以上あり、開け閉めは雑にするとガシャンと大きな音が鳴る。それでも居間兼台所にいると水音やらテレビの音で人が出入りしても気づかないので、引っ越し早々父はどこで買ってきたのか、内側にベルを取り付けた。ちょっと古めの喫茶店によく付いている、あれだ。
一八年も経てばベルも老化するのか、今となっては大して役に立たなくなってきた。母には無用心だから昼間でも鍵を閉めておくようにと言っているが、当時高校生だったわたしは厄介なものがついたと思っていた。夜遅くこっそりうちを抜け出そうにも、これではどうしようもない、と考えたのだ。
がしかし、それも数年だけのことだ。だんだんベルの鳴らない扉の開け閉めを覚え、二階で寝ている両親に気づかれず夜遅く帰ってくることも平気になってきた。
うちには明確な門限はなかった。もともと父は朝早いので、夜は一〇時を回るとたいてい寝てしまっていたから、あとは母にさえなにも言われなければよかった。それでも十代後半、二〇代前半は特に、お咎めを受けないように細心の注意を払っていた。
そうやってだんだん抜け道を探すように帰宅時間が遅くなっていったある晩、日付が替わるころうちに帰り、ちょうど目を覚ましてトイレに起きてきた父と鉢合わせしたことがある。わたしは少し酔っていたが、冷凍庫にでも放り込まれたように突然シャンと目が覚めた。父は本当なのかふりなのか寝ぼけているようで、「おかえり」とだけ言ってすぐに二階に上がっていった。
あのとき、父はすぐに眠ったのだろうか。
玄関で鉢合わせしたと言えば、もっと気まずい思いをしたことがある。
思う存分友人たちと飲み、始発が出るのを待たずにタクシーで帰ってきた朝、時計も見ずに玄関を開けるとそこには出勤前の父がいた。夏が近かったので、北側の玄関ですらも灯りの必要はないくらい明るかった。わたしは心の中で声にならない叫び声を上げた。父の顔はほとんど見なかった。でも黙っているわけにはいかない。
先に口を開いたのは、父だったような気がする。
「おかえり。」
「ただいま。・・・いってらっしゃい。」
「いってきます。」
わたしも三〇過ぎていたので、さすがにもう朝帰りをして叱られはしなかった。けれど数日後、母から、仕事に行く時間に鉢合わせするのはなあと、父がぽつり呟いていたと聞いた。
それ以降、何度も飲みに行っては朝帰りしたけれど、どんなに酔っていても家に入る前には近くなると必ず時計を見るようになった。一度は乗っているタクシーが出勤する父の車とすれ違い、後部座席でずるずる腰を落として姿を隠し、あるときは角の自動販売機の陰で父の出勤を見送った。
そういうときは、なぜだろう、突然夜が明けて朝がやってきたような気になる。
今はもう父が出勤するような時間まで飲んでいられなくなったので、帰りにどきりとすることはない。
そんなことで父が安心してくれるとしたら安いものだが、もちろんこれは親孝行とは言わない。あまり出来のよくない娘だが、それくらいは承知している。
課題 父母のうちどちから一人をテーマにして、エッセイを書きなさい。
今年の二月に岩手へ友人と旅に出るその日も、わたしは五時に起き出し、仕事が休みの両親を起こさないよう支度を始めていた。空港行きの乗合バスが家の前まで迎えに来るのは、六時一〇分。着々と準備を進め、五分前には玄関でスタンバイしていた。
表で車のエンジン音が聞こえ、玄関扉にはめ込まれたガラス部分から外を覗きこんだと同時だったろうか。階段を下りるスリッパの音が聞こえた。
父だろうか母だろうかと思いながら、履いていたジーンズの裾を折りたたみ、冬旅用のラバーブーツの中に押し込んだ。けれど、チャイムを鳴らされないようにとあわてたせいか、足がなかなか入らない。少し足を浮かせて力まかせにラバーブーツを引っ張り上げたら、勢いあまって後ろへひっくり返った。キリリと冷たい床に背中をつけたまま見上げると、そこには父が立っていた。
なんとなく、起きてきたのは母のような気がしていた。だから、なんだお父さんかと内心思った。
「いってきます。」
早いねとか、寒いねとか、もう迎えにきたわとか、短い言葉がいくつも頭を過ぎったけれど、結局それしか口にできなかった。
「気をつけて。」
そのままトイレに入るかと思いきや、父は扉を開いたわたしの後を追ってきた。
ああ、新聞だろうかとお迎えのドライバーさんに会釈だけし、ポストから新聞を取り出した。裸足に寝巻きでは寒いだろうと素早く手渡したが、父は後ろへ下がらなかった。
バスの中から振り返ると、まだ玄関先で立っている。その顔に向ってもう一度「いってきます」と口だけ動かしたところでバスは走り出し、普段はそんなことをしないのになぜかわたしは小さく右手を振った。
こどものころ、朝仕事に出る父を見送ったことがある。あれは小学校の三、四年生くらいだっただろうか。今の家ではなく、以前住んでいた家でのことだ。
一般的に見送りなど珍しいことではないのかもしれないが、父は朝必ず卸売市場にある店に顔を出していたので、毎日五時半には家を出ていた。父が勤めているのは、折箱の製造販売の小さな会社だ。古希を迎えた今も出勤日数は少し減ったものの現役で、料理屋さんで使う木の折箱を作っている。
その日は、ちょうど父が出る時間にふっと目が開いた。耳を澄ますと、階下から両親の話す声が聞こえてきた。真冬ではなかったが、ふとんから一度抜け出してまた眠るにはためらう季節だったのでどうしようかとほんの短い時間思案したあと、わたしは部屋を出て階段の一番上に座り込んだ。
まっすぐで急な階段だったので頭を傾け覗き込むと、父はもう靴を履いて三和土に降りていた。手前には母が立っていて、なにか言いながら父へカバンか荷物を手渡していた。
「いってらっしゃい。」
両親の会話を遮るように声をかけると、ふたりが振り返った。
「いってきます。」
父が想像以上にうれしそうな顔をして見上げたので、わたしは満足してふとんに入り、再びすとんと眠りについた。
その家から引っ越したのは、高三のときだ。
今の家の玄関は、やたら広い。吹き抜けになっているから余計にそう感じるのかもしれないが、扉は二メートル以上あり、開け閉めは雑にするとガシャンと大きな音が鳴る。それでも居間兼台所にいると水音やらテレビの音で人が出入りしても気づかないので、引っ越し早々父はどこで買ってきたのか、内側にベルを取り付けた。ちょっと古めの喫茶店によく付いている、あれだ。
一八年も経てばベルも老化するのか、今となっては大して役に立たなくなってきた。母には無用心だから昼間でも鍵を閉めておくようにと言っているが、当時高校生だったわたしは厄介なものがついたと思っていた。夜遅くこっそりうちを抜け出そうにも、これではどうしようもない、と考えたのだ。
がしかし、それも数年だけのことだ。だんだんベルの鳴らない扉の開け閉めを覚え、二階で寝ている両親に気づかれず夜遅く帰ってくることも平気になってきた。
うちには明確な門限はなかった。もともと父は朝早いので、夜は一〇時を回るとたいてい寝てしまっていたから、あとは母にさえなにも言われなければよかった。それでも十代後半、二〇代前半は特に、お咎めを受けないように細心の注意を払っていた。
そうやってだんだん抜け道を探すように帰宅時間が遅くなっていったある晩、日付が替わるころうちに帰り、ちょうど目を覚ましてトイレに起きてきた父と鉢合わせしたことがある。わたしは少し酔っていたが、冷凍庫にでも放り込まれたように突然シャンと目が覚めた。父は本当なのかふりなのか寝ぼけているようで、「おかえり」とだけ言ってすぐに二階に上がっていった。
あのとき、父はすぐに眠ったのだろうか。
玄関で鉢合わせしたと言えば、もっと気まずい思いをしたことがある。
思う存分友人たちと飲み、始発が出るのを待たずにタクシーで帰ってきた朝、時計も見ずに玄関を開けるとそこには出勤前の父がいた。夏が近かったので、北側の玄関ですらも灯りの必要はないくらい明るかった。わたしは心の中で声にならない叫び声を上げた。父の顔はほとんど見なかった。でも黙っているわけにはいかない。
先に口を開いたのは、父だったような気がする。
「おかえり。」
「ただいま。・・・いってらっしゃい。」
「いってきます。」
わたしも三〇過ぎていたので、さすがにもう朝帰りをして叱られはしなかった。けれど数日後、母から、仕事に行く時間に鉢合わせするのはなあと、父がぽつり呟いていたと聞いた。
それ以降、何度も飲みに行っては朝帰りしたけれど、どんなに酔っていても家に入る前には近くなると必ず時計を見るようになった。一度は乗っているタクシーが出勤する父の車とすれ違い、後部座席でずるずる腰を落として姿を隠し、あるときは角の自動販売機の陰で父の出勤を見送った。
そういうときは、なぜだろう、突然夜が明けて朝がやってきたような気になる。
今はもう父が出勤するような時間まで飲んでいられなくなったので、帰りにどきりとすることはない。
そんなことで父が安心してくれるとしたら安いものだが、もちろんこれは親孝行とは言わない。あまり出来のよくない娘だが、それくらいは承知している。
課題 父母のうちどちから一人をテーマにして、エッセイを書きなさい。
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tammy
at 2010-01-11 22:08
x
コガさん、お疲れ様でした。
創作演習4の作品も読ませていただきました。いつものコガさんの作品のトーンとちょっと違っていて、面白かったです。書きにくかったんだなぁ〜っていう感じが伝わってきました。とうか、すごく恥ずかしそうな・・・
私も東京に帰ったら、少し課題はじめないと。頑張ります。
創作演習4の作品も読ませていただきました。いつものコガさんの作品のトーンとちょっと違っていて、面白かったです。書きにくかったんだなぁ〜っていう感じが伝わってきました。とうか、すごく恥ずかしそうな・・・
私も東京に帰ったら、少し課題はじめないと。頑張ります。
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fastfoward.koga at 2010-01-12 22:06
tammyさん、こんばんは。
3日間、お疲れさまでした!
いつもながら、ご一緒できて楽しかったです。ありがとうございます。
今回、トーン違いました?
書き始めがいつもと違っていたので、途中でかなり構成を変えたのですが、どうもいつもの調子に戻しきることができませんでした。
それがよかったのが、悪かったのか・・・。
わたしも最後の提出期限に間に合うように、もうひとがんばりします!
3日間、お疲れさまでした!
いつもながら、ご一緒できて楽しかったです。ありがとうございます。
今回、トーン違いました?
書き始めがいつもと違っていたので、途中でかなり構成を変えたのですが、どうもいつもの調子に戻しきることができませんでした。
それがよかったのが、悪かったのか・・・。
わたしも最後の提出期限に間に合うように、もうひとがんばりします!
by fastfoward.koga
| 2010-01-08 22:59
| 四〇〇字・課題
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