言霊の幸わう国

マイパーソナルコンピュータ

 今朝は、季節の後戻りを感じさせる寒さ。
 もしかしたらもう着ないかもと思っていたダウンと厚手のマフラーぐるぐる巻きで出かけた。
 昨晩もエンドレスに近い印象ほどの夢が続き、6時間は寝たはずなのに眠かった。
 これはもう乗り換えたあとの電車で寝るしかないと、普段はお愛想でも開く本を開かず、シートに腰掛けたとたんに眠る体制に入った。
 まだシートが埋まらない間は、駅に止まるたびにうっすら目を開けて周囲を確認したけれど、それも次第にしなくなり、気づくと大阪寄りのぎゅうぎゅうの上にぎゅうぎゅうに乗客が乗ってくる駅まで来ていた。
 前に立った人の脚が、後ろの誰かに押されて膝に当たった。
 薄目を開けて少し膝をずらして足の置き場を調整していると、電車は次の駅に着き、ドアのすぐそばに座っていたせいで、雪崩のようにホームへ押し流される渦に巻き込まれた人の肘が左側頭部に当たった。
 相手も悪気はないとわかっていながらも、あまりの痛さに声が出た。
 痛っと外に吐き出した音を頭に響かせたまま、そこから10数分は、眠りではなく目を閉じているだけの心地よさに浸っていた。

 会社につくまでの間、休みの2日間で失われた(ように感じる)社会性について考えていた。
 面倒なことに、わたしは毎年春が近づく今ぐらいの時期からゴールデンウィーク前くらいまで、鬱々とする。
 体が先かきもちが先か、体調もどこかすっきりせず、この休みもやることはいろいろあったろうに、と昨日の自分に説教のひとつでもしたくなっていた。
 駅から会社までの波打つ坂道を、できるだけ赤信号で止まらないように歩調を速めたり緩めたりした。
 それは、ある種の願掛けか。
 なにはともあれ、思ったよりは心安らかに会社に到着し、エレベーターに乗り、フロアに足を踏み入れられた。
 席に着いたら、今日はいつもより早めに抽斗を開けてスケジュール帳を開き、今日の予定を確認した。
 金曜日の夕方に翌週分のスケジュールをまとめないまま帰ってしまったので、それでなくても動作の鈍い頭はしばらく朝からやるべきことを思い出せずにいた。
 それでもいつものように立ちミーティングをして、鉄庫の鍵を開け、メールのチェックをしていたら、頭より体が先に反応した。
 キーボードを叩く指は、ためらわず動いた。
 指に指令を出す脳も。
 こういうとき、いつも社会人でよかったと思う。
 自分のやるべき仕事があるというのは、ほんとうにありがたい。
 失恋しても、大切なものを失くしても、誰かとケンカしても、毎日つまらないと思っていても、デスクに向って黙々と仕事をこなしていると、自分がまともな人間に思える。
 大学生のころから、自分の裁量で得た自分の時間を持て余し出し、学校に行くのが億劫になることが多くなった。
 時間はなくても困るけれど、ありすぎてもそうやって無駄にして、長い間楽しみを自分で見つけられず、鬱々として過ごしてきた。
 わたしは、義務とか面目とか義理とか、そういうものに多少縛られているほうが実は体が動く。
 ねばならぬとか、べきであるがすきなのは、だからなのだ。
 ときどき仕事をやめて終わりのない旅に出たらと想像するけれど、ほんとうにそんな旅に出たとしてもきっとどこかで3日とか1週間のバイトを探して働くような気がする。
 妄想の妄想だ。

 今通勤途中で、夏目漱石の『草枕』を読んでいる。
 解説をはさみながら本文を読み進めるのは邪魔くさいところもあるけれど、いつもより少し高めに集中力を保って文章を追い始めると、その名文ぶりに感嘆する。
 そして、吉田篤弘の『針がとぶ』や村上春樹の『海辺のカフカ』のある場面同様、自分が書きたかったことがすでにそこに高い質を湛えた文章として世界に存在することを知る。
 そこでいつも奈落の底に落ちきった気がするのだけれど、最近はそんな作家と自分を比べても仕方がないと少しは賢くなってきた。
 わたしが書きたいのは名文ではなく、自分が考えたことを書き残すこと。
 わたし自身が考えたから、価値がある。
 そんなことを考えながら、わたしは自分ができるだけ長く書き続けられるように防衛策をとる。
 頭の中で巡らした言葉を、キーボードを叩くように文章にひたすら変換する。
 その様子を同じ頭の中に描いていたら、胸にある鬱々は単なる自己暗示に思えた。
 この先も、どうか己の呪縛を解いてゆけますように。

 今日は、こんなことを頭で変換していた。
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by fastfoward.koga | 2010-03-08 21:24 | 一日一言