言霊の幸わう国

モンシロチョウ

 旅の予定が延期になり、とっていた金曜日の休みと18きっぷを反故にするのはもったいないと急遽決めた日帰り旅。
 24時を過ぎているというのに、まだ行き先は決まっていなかった。
 耳鳴りのひどい左耳を上にして、ふとんの中で路線図を眺め、時刻表を捲った。
 北上するか、南下するか。
 眠気と睡眠時間が気になってしまい、指3本をページに挟んだところでとりあえずこれで、と時刻表を閉じた。

 行ってみたいお寺、会いたい顔も思い浮かんだけれど、結局海を見に行くことにした。
 と言っても方向を決めただけで、どのあたりで途中下車して海を見るのか、深く考えないままうちを出た。

 せっかく出かけたのにぼんやりしたまま帰ってきてしまわないか。
 そんな心配も少ししていたけれど、京都駅から山陰線のホームから出る電車に乗り、北へ北へと向っていたら、いらぬ心配だったと思った。
 そう、わたしは空いた電車に乗ってさえいれば、ゆるりとする人間だったのだ。

 舞鶴までは、次々と車窓から見える桜の木を目で追った。
 昨年秋に宮津に行くときに通った国道沿いに線路があったのを見ていたので、今度は逆に線路から国道を見てみたいと、昼前の眠気と闘いながら外を見た。
 4人掛けのシートをひとりで占領し、少し姿勢を崩したり足を思う存分伸ばしたりして電車に乗っているだけなのに、ああなんてきもちがいいのかと思っていた。
 途中、特急に抜かされるか、上り線の電車を待っていたかで駅に10分弱停車していたとき、反対側のホームに白いものがひらひらしているのが見えた。
 桜の花びらかと思っていたら、それはふわふわ舞い上がった。
 よく見るとモンシロチョウだった。
 上がったり、下がったり。
 漂うように飛ぶ蝶が、自分と重なった。

 東舞鶴駅では、駅前の地図で海へと続く道を確認した。
 海の見える場所で昼食をとり、のんびりしすぎたために海のそばまで道1本を挟んだところまで来ていたのに近づけずに駅へと引き返した。
 次に海を見るなら、小浜だ。
 東舞鶴から敦賀行きの電車に乗り、絶対に途中から海が見えるはずだと、昼食後の睡魔と闘いながらまた外を眺めていた。
 目を閉じて外の景色が見えたらいいのに。
 と、旅では毎度のことながら馬鹿なことを考えていた。

 小浜の海は、陽の光を浴びてキラキラしていた。
 まぶしくて、目を開けていられなかった。
 残念ながら砂浜は整備中で歩くことはできず、仕方なく海へと伸びた防波堤を歩いた。
 目を細めて水辺を見ると、意外に水は透き通っていて、水の中でゆらゆら揺れる海草が見えた。
 光を受けた水面は、飽きずにずっと波に揺られている。
 じいっとそこを見ていたら、ポニョみたいにつるんと飛び込んでしまいたくなった。
 すぐそこに海があるのに、手に触れられないのがほんとうに惜しかった。

 小浜の町は風が強く、公園の脇に咲いた桜の花びらが風で一斉に舞った。
 あわててカメラを取り出して見上げると、花びらの強襲。
 1枚の花びらが、左頬を打った。
 ぴしっと音がしたような、頬に花びらの跡が残ったような気がした。

 小浜からは敦賀、米原経由で一路京都へ。
 陽が暮れ始めると、外の景色はあっという間に紺色になった。
 車内はみな、どこかへ帰る人。

 わたしは帰りたいような、帰りたくないような。
 今日はうちに帰るとインプットされているだけで、実は自分がどうしたいのかわからなかった。
 どうしたいのか、考えもしなかった。

 うちがあるからこうしていられる。
 うちがなければどこかへ行こうなんて思うかどうか、自信はない。
 でもそれなら、ずっとこのままと思ってしまうのはなぜなのか。

 どこを見ても、今瞼の裏にはモンシロチョウ。

c0047602_19491741.jpg
  
[PR]
by fastfoward.koga | 2010-04-11 19:52 | 旅行けば