言霊の幸わう国

おうどん

 ある日の送別会。主役とはずいぶん遠い離れ小島のような席に着いたせいで、女ばかり六人が会の主旨とは異なるとりとめのない話をしていた。
 宝くじがいくら当たったら会社を辞めるか。
 とんねるずの「食わず嫌い王決定戦」に出るなら、嫌いなものひとつとすきなもの三つはなにを選ぶか。
 そして、最後の晩餐になにを食べるか。
 軽い、でも各人の趣味嗜好が出る話題というのは、いつだって盛り上がる。みなそのときは真剣に考えるおもしろさがあるものの、テーブルを離れたらぱーっと忘れる。ほどよい距離感でお付き合いする人との間では、そのくらいの話題がちょうどいいのだ。
 だから、そのときみながなにを最後の晩餐に食べたいと挙げたかはうろ覚えだ。たぶん、言っていたのはこんなことではなかったか。
「わたしは、白いご飯とお味噌汁があればいい。」
「わたしは、やっぱりお肉。」
「わたしは、お母さんの作ったカレー。」
 最後のその言葉に、わたしは目を大きく見開いた。
 ちなみに、わたしは「出し巻き」と答えたのだが、みなから「お母さんが作ったの?」と尋ねられ言葉に詰まった。そのときわたしが頭の中に描き、口の中で味を再現したのは、母が作ったという枕詞のようなものはつかない、おだしの効いたただのおいしい出し巻きだ。
 決して母の作る出し巻き、ひいては料理全般がおいしくないと言っているのではない。我が母ながら、おいしいものを食べるために作る手間は惜しまないし、その出来上がりには文句のつけようもない。でもわたしには最後の晩餐で「母の作った」ものという発想はなく、だから前出の「カレー」という同僚の発言に驚いたのだ。
 こういうとき、二〇年も離れてひとり暮らす兄ならなんと言うだろう。そんな思いにひとりふけっている間に、話題は次のものへ取って代わられていた。
 次の話題は食つながりで、我が家のお昼の定番。母が「今日のお昼、簡単なんでいい?」と言うときのメニューはなにか、になっていた。
 これも人それぞれ家庭ごとに違っていて、ある人は焼き飯、ある人は丼物だと言った。
「ああ、うちはおうどんやわ。」
 言いながら、わたしは台所から「お昼、おうどんでいい?」と大きな声で聞いてくる母の声を思い出していた。それは、子供のころも、つい先日もあったような気のするいつかの日も変わらない母のセリフだ。
「卵落としてえ。」
 必ずそう言うわたしに対して返事をしない母が、よう飽きひんなあと思っているのは空気でわかる。たまに「肉うどん、できるで」と言われても、そこは頑なに「たまごでいい」と月見うどんをリクエストするわたし。そのほうが、おだしの味がよくわかるからいいのだ。
 でも、そうして母が作ってくれるうどんのだしは、別に一から丁寧にだしをとっているわけではない。ヒガシマルのうどんだしだか、味の素の粉末だしあたりを使っている。
 それでもなぜだろう。母が作ってくれるおうどんが、わたしにとっての母の味のような気がする。
 これを聞いたら母は、他にいくらでも手間ひまかけて作ったものがあるはずだと異議を唱えるだろう。そして、最後の晩餐に食べたいものを思い浮かべたとき、母が作ったものという発想すらなかったことにがっかりするかもしれない。
 そこでわたしは言う。
 わたしのこの味覚は、母が作ってくれたものを家族で食べてきた中で培われたものであり、それがなければおいしいと感じる幸せはなかった。と言うことは、わたしがすきなものに母の作ったものを選ばなくても、母が作った味を選んだのと同じことなのだ、と。
 でもまあ、これも言い訳じみているのでいちいち口には出さない。ただ、毎日作ってもらっているごはんを、「いただきます」、「おいしい」、「ごちそうさま」といただくことにするとしよう。

 課題 テーマをひとつ選び、記述しなさい。
     選択テーマ 「ランチ(具体的な食事の一品を盛り込む。)」
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by fastfoward.koga | 2010-05-12 22:06 | 四〇〇字・課題 | Comments(0)