言霊の幸わう国

生きる奇跡 <前編> 停電の夜

 たいていは、ライブを見ているときに感じたことを頭の中で言葉に置き換える作業をしているものなのだが。
 会場内のすべての照明が消され、音が鳴り、彼の声が聞こえた時点で、今日はもういいやと思った。
 だから今もどこから書き出していいものか、筆は迷ってばかりなのだけれど、とりあえずキーボードを叩く手は止まらないのでこのまま進めることにしよう。

 真っ暗な中その暗さに目が泳いでしまい、とりあえず今最大限活かせる五感は聴覚しかないと、耳をすました。
 すでに記憶が定かでないけれど、音のあとか、いや、聴こえたのはいきなり彼、小沢健二の声だったろうか。
 入場口で、開演後10分間入場できないとアナウンスしていた理由をぐるぐる考えながら、久しぶりに聴くその声に思わず両手を口元を覆った。
 どうしてこういうときに手を口元にもってきてしまうのか、我ながらいつも不思議で仕方ない。
 理由は未だにわからないけれど、とにかく今回も同じポーズをとった。
 ステージが照明のもとに現れるまで、いったいどのくらいの時間がかかっていただろう。
 長い長いニューヨークの大停電の日の朗読が終わるまで、会場中がじいっと彼の声に耳を傾けていた。
 暗闇の中で、みな体験していない大停電を想像していたのだ。
 そうしてじらすだけじらし、白い衣装に身を包んだ豪華メンバーとともにひとりラフな格好で彼が現れたとき、丸くて大きな空気が客席から立ち上った。
 前日に「ひふみよネット」を見て、あっもしかしたら明日わたし泣くかも、と初めて思った。
 前夜は、ふとんに入って目を閉じると、遠足の前日になっている自分を発見した。
 そして、泣くかもと思ったものの、そのときほんとうに泣けてきたことに驚いた。
 右目の目頭から、じわっと涙が溢れた。
 えー、わたしそんなにすきやったっけえと突っ込みながら、小さすぎて表情もわからないその人に一生懸命目をこらした。
 その日、わたしは会場の後ろから3列目のはじっこのほうにいた。
 事前に席を確認していたからわかっていたけれど、事実を目の当たりにして、ステージのあまりの遠さにくらくらした。
 ステージまでは100メートルくらいありそう、と思ったところで振り向き、後ろにある席の数を数えかけ、中にいられるだけ幸せだと考えようと思い直した。
 どしゃぶりの雨が降る中、ダフ屋のおっちゃんの他に、外には「チケットを譲ってください」と書いた紙を持っている人が何人かいた。
 そのうちのひとり、とてもかわいい女の子とわたしは目を合わすことができなかった。
 かける言葉なんて持っていなかったのだから。
 事実、本編約2時間半、アンコールを含めると3時間ほどのその時間をそこで過ごすことができたのは、とても幸せなことだった。
 今回のライブは『LIFE』の曲を中心に、という情報が事前に流れていた。
 だから、どちらかと言うと、と言うまでもなく確実に『犬』派の自分としては、『犬』の曲はまったくしないと思い込んでいた。
 それが、ふたを開けたらアレンジが変わっているものの、『天気読み』も『ローラースケート・パーク』もやってくれた。
 そして、絶対絶対絶対ないと思っていた『天使たちのシーン』までもが。
 あの曲を聴いて、しかも生でこのタイミングで聴いて普通でいられるわけがない。
 今度も右目から、今度はつつつと涙が伝った。
 よくハナウタで歌っていたところでは、頭の中でなにかがぐるんと渦を巻いた。
「愛すべき生まれて育ってくサークル
 気まぐれにその大きな手で触れるよ
 長い夜をつらぬき回ってくサークル
 君や僕をつないでる緩やかな止まらないルール
(中略)
 神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
 にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている」

 今までだって、何度も歌詞カードを見ては、口ずさんでは、その言葉の意味を噛みしめてきたというのに、そのとき、急に目の前の扉が開かれたように新しいものが見えた。
 あぁ、生きていなければという思いが突然湧いてきた。
 生きていたら、こんな思わぬ出来事に巡り会えるのだ。
 ライブでは、初めのニューヨークの大停電の話に続き、何度か朗読があった。
 朗読は小さく流れるメロディをBGMに、文章の区切りがいいところで彼はそれに合わせてステップを踏んだ。
 相変わらず長くひょろっとした足で。
 どんなに目を大きく開いても細めても、やっぱり彼の表情を確かめることはできなかった。
 諦め気分で、1度目を閉じて声に聴き入った。
 そこで初めて、この声がすきなのだと気づいた。
 話し方も、そう。
 歌は決してうまいと言えないけれど、やっぱり歌声も耳からすうっと体の中に入って沁みこんでゆく。
 そうか、そうだ、この人はこんな人だったんだー、なんてことを、ライブ中何度か思った。
 遠すぎるステージはじっと見ていると、自分が幻影を作り出しているような気になり、時折これは現実なのかと客席全体を見渡した。
 その中に空席は、見つけられなかった。
 誰もがこの日を待ちわびて、ここにいることを心から喜び楽しんでいるのが後姿からでもわかった。
 ライブでは、何曲か新曲が演奏された。
 そのうちの1曲、『時間軸を曲げる(表記不明)』がよかった。
 アンコール後のMCで、どの曲もあと3回やったら終わりかと思うと残念、と彼は言ったけれど、そのとき会場中の誰もが次はあるのかどうか知りたかったはずだ。
 新曲は形になるのか、またライブをすることがあるのか。
 あるとほんとうは言ってほしいけれど、そういうことは言わないだろうなとみんなわかっているような、もしくは口にするとこの3時間すら泡になって消えてしまいそうな気がしていたんじゃないだろうか。
 でも、生きていればいつか。
 わたしはひとり、そんなことを思っていた。
 それでも終わってしまったら、帰りの電車でもうちに着いてからもしばし放心状態。
 書こうと思えばその日のうちにブログも書けたけれど、今夜のことはひと晩寝かせたほうがいいと、ぼおっと録画していたドラマを見ていた。

 そのとき。
 突然いくつもの電気製品からガチャンという音がして、部屋の灯りが消えた。
 ブレイカーが落ちたのかと思い、すぐに外を見ると街灯の灯りも消えていた。
 かろうじて、ベランダから見える府道沿いの飲食店の看板がいつもと同じように見えた。
 あわてずに枕元に常備している懐中電灯を手に家中を歩き回っていると、ご近所さんも玄関から外を覗いている。
 停電ですねと確認し合いちょっと安心したところで、とりあえず部屋に戻ったものの電気がないとなんにもできないことにはじめて気づき、手持ち無沙汰で途方に暮れた。
 停電は、ごくごく小さな範囲で起こったものだったらしい。
 真夜中の空は白っぽく、想像した暗闇はそこにはない。
 まだ開演直後のコンサート会場のほうがよっぽど暗かった。
 だとしたら、今日彼の口から聞いたニューヨークの大停電はすごいことだったのだ。
 仕方がないから懐中電灯の灯りでお風呂に入ろうかと階段を下りたところで、家中が一瞬明るくなった。
 結局停電は、数十分のことだった。
 でも、こんな印象深い停電は今までにない。

 帰ってから、気づくと『ラブリー』を歌っている。
 1番すきなのはこれじゃないのにな、と思いながら。
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by fastfoward.koga | 2010-06-20 21:54 | 一日一言