言霊の幸わう国

大事なものが見える闇

 あかりを見つけに、というよりは闇を探しに行った、と言うほうが正しいだろう。
 今年も「天若湖アートプロジェクト2010  あかりがつなぐ記憶」を見るために、日曜の夜、日吉ダムに行ってきた(昨年の記事はこちら → ★★★)。

 不思議なことに、昨年日吉ダムに行ったことを思い出すと浮かび上がってくるのは、闇で感じた恐怖心ではなく南東の空の明るさだった。
 実は今自分の書いたものを読み返して、1年前はそんなに暗がりを怖がっていたのかと思ったくらいだ。

 あれから、わたしはずっと闇を探していた。
 寝支度をすませて部屋の電気を消したあと、車のヘッドライトを消した瞬間、眠りに落ちるそのとき、これは闇か、あれは闇かと、暗がりではずっと目を凝らしてきた。
 1年間そうやって過ごして、恐怖心を抱くほどの闇を感じたのは、たった1回きり。
 先日旅先で立ち寄った、元善光寺さんのお戒壇巡りのときだけだった。

 陽が暮れたと、集中して空を眺める。
 でもそこにはいつまでたっても明るさが残る。
 これじゃない、探しているのはもっともっと覆いかぶさるような暗さなのに。
 ひとり密かに闇探しに必死になっていたのは、それが見つからないと、なにか他の大事なものも見つけられなくなるような気がしていたからだ。

 そうして今年もまたk嬢とともに道に迷いながら、日吉ダム脇の天若湖に向った。
 確かにダムへの道路標示が出たあたりから、ヘッドライトの灯りが小さくなったように感じたりもしたけれど、車を停めて歩き出した天若湖にかかる橋の上ではすぐに目が慣れ、暗さを感じる暇はなかった。

 橋からは、昨年雨が降ったあとだったせいで沈んでしまっていたあかりも、今年はくっきりと見えた。
 そして少し視線を上げると、南東の空は明け方のようにほの白く光っている。
 陽はいつ昇るのか、それともこの明るさはほんとうに消えてしまうのか。
 なにも確かめないまま、わたしたちはその場を後にした。

 湖を周回しながらところどころで車を停車し、木々の隙間からあかりを確かめる。
 湖の西側は1番住居が集中した集落だっただろう、あかりの数が特に多かった。
 あかりを目に映し、すり鉢状になった土地に人々が暮らしていた姿を、頭の中で重ね合わせた。

 果たして、湖の底に沈んだ町は、21時を過ぎてもまだ南東の空が明るいことを知っていたのだろうか。

 明るい空からさらに視線を真上に移し、星がいっぱい見えるところに行きたいねえとK嬢と言い合った。

 日曜の夜、明日が月曜日だとは簡単に信じられないような、そんな場所にわたしはいた。
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by fastfoward.koga | 2010-08-10 20:53 | 一日一言