言霊の幸わう国

海あり山あり 日本列島輪切りの旅  「風に乗ってどこまでも」

★7月27日(火)
 -十日町・松代周辺(「大地の芸術祭の里」)散策(昼食)-
 16:14 十日町駅発 ⇒(飯山線)⇒ 19:08 長野駅着   -(夕飯)-






 今年の旅には、やりたいことがいくつかあった。
 ひとつは、もちろん、乗ったことのない路線にたくさん乗ること。
 もうひとつは、トレッキングをしに森に行くこと。
 最後は、瀬戸内国際芸術祭か、越後妻有の大地の芸術祭の里を見ることだった。
 数日迷って、結局大地の芸術祭の里を見ようと瀬戸内ではなく十日町を選んだのだけれど、ガイドブックに書かれてあったとおり、ここは1日で通り過ぎるにはもったいない場所だった。
「大地の芸術祭」は3年に1度開催される国際アート展で、今年は開催年ではないけれど、越後妻有と呼ばれる十日町や松代、津南などのいくつかのエリアに100点を越える作品があちこちに展示されている。有名どころでは草間彌生の作品があり、あの奇抜な色づかいでしかも巨大な作品がおしげもなく野外にどーんと展示されていたりする。
 作品は広範囲にわたってぽつりぽつりと展示されているので、足がないととにかく回れない。土日は巡回バスも出るらしいが、「ご一行様」で作品を見たくないし、勝手気ままに車で行くのもいいかと、事前にレンタカーを予約し、9時半にはアート巡りを出発させた。
 用意された車はホンダのライフ。普段運転しない軽自動車に少し心配していたけれど、交通量もそう多くないし、流れも特段速くなさそうなのでまあ大丈夫かと、しばらく運転していたら気も楽になった。
 レンタカー会社を出て、とりあえず並行して走る線路を越えようと、ナビも使わず地図で大まかな確認だけをし車を走らせた。しばらくすると見覚えのある景色が見えてきて、よしっと思ったが、よく見ると自分が思っているのとは逆方向を走っている。こりゃあ勘で走ってはいけないと、今さらながら当たり前のことで反省をし、素直にカーナビをセットした。
「事前にしっかりコースを考えておきましょう。」
 そうガイドブックに書かれた言葉を、初めは右から左へ流そうとしていた。でも、前日の夕方に公式マップを購入したあと、即座に思い直した。マップの裏を丁寧にチェックしていたら、見たい作品があっちこっちに散らばっていたので、厳選しないと見られないことがわかったのだ。

 1番最初に向ったのは、十日町から近い中里エリア。ミオンなかさとという施設の周辺にある作品。施設を目的地に設定できたおかげでナビがちゃんと案内をしてくれ、駐車場も広く、初めての土地でレンタカーを運転する身としてはとてもありがたかった。まずひとつ目標達成と、ほっとしながらいくつかある作品を順に見て回り、そそくさと車に戻った。ペース配分がまったくわからない上に、十日町を出発する列車の時間だけ決めていたので、見たい作品がまだいくつもあるという思いから、このあたりは少々あせり気味だったのだ。
 次の目的地は、少し離れたところにしか目的地を設定できないようなところにあった。おかげで、野外作品にも関わらず気づかずに行き過ぎてしまった。
 公式マップを広げて、もう1度位置を確認して、車を元来た道に戻す。すると、どうしてさっきは気づかなかったのか不思議に思うくらい、すぐに目当ての作品は見つかった。
 近くの駐車場に車を停め、日焼け止めクリームを塗りなおして外に出る。陽射しは、朝から容赦なく地面に降り注いでいた。
 車止めを越え、足元が芝生になってからは下を気にもせず、作品をただじっと見つめて1歩1歩近づいてゆく。公式マップで見ていた作品の写真と、実物が同じ大きさになったところで、鼻の奥がつーんとした。
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 作品のタイトルは、「たくさんの失われた窓のために」。
 作家は、内海昭子さん。
「うわっ。泣きそう。」
 誰もいないから、遠慮なく声に出していった。でもさすがに言っただけで、泣きはしなかった。かなり鼻がつーんとしていたけれど、最近涙もろくて涙の安売りをしているのでこらえた。
 緑の濃い広い大地に向って、白いカーテンがなびいている。白と言っても、雨風にさらされ端が切れたり汚れたりしていて決して美しくはないのだけれど、それでも風に大きく揺れているのを見ていたら、自分の体もふわりと浮きそうだった。
 窓の手前にある階段を上がる。視線が高くなって、窓枠の向こうがさらによく見えた。
 そこには、窓枠があるだけで建物があるわけではないから、その内側からも外側からも向こう側の景色はよく見えているというのに、窓を通して景色を見ている気になった。数メートル離れた階段の上に立ち、今自分が感じているこの風も、あの窓から吹いてきているのだと思った。
 常に開かれた窓を前にして、自分の2本の足がしっかり地に着いているという実感を、急にもった。一瞬誰かと一緒に見ればよかったという思いが過ぎり、そのすぐあとで誰かと見たかったと思えたことがいいのだと、窓に向き直った。
 階段上で思う対峙したあと、写真を撮るために窓に近づいた。角度を変えたり、カメラを縦にしたり横にしたり。でも窓とは一定の距離を保ち、決して触れるようなことはしなかった。たぶん触れたら窓は単なる窓枠になる。
 写真を撮り終えたあとは、少し離れた場所からカーテンが飽きることなくなびくのを眺めていた。
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 名残惜しい。名残惜しい。他の作品で見たいものがなければ、ずっとここにいたいくらいなのに。
 そう思いながら、何度も振り返って車に戻り、車に乗り込む前にもう一度窓を見、車で通り過ぎるときにはスピードを落として心の中で手を振った。作品が見えなくなったあともひとり車の中で、これが見られただけで充分だと、満たされた思いを消化しようとしていた。
 途中道路工事で車の流れが止まったところで興奮はおさまり、やっと次にきもちが向いた。
 こういうところ、列車なら乗ってさえしまえば自分のきもちなどおかまいなしにどんどん進んでいってしまうけれど、車は自分が走らせなければならないので、妙に未練がましかった。鉄旅がすきなのは、だからなのかもしれない。

 次の目的地マウンテンパーク津波は、行ってみるとそこはスキー場だった。あちこちにリフトや斜面があり、夏草は眩しいほどの緑で、これが真っ白に変わるのかと思うと不思議なきもちになった。目の前の景色に、頭の中でそっと雪を降らせ、それだけでは飽き足らず、定点観測で撮った映像を見るようにその移り変わりを本当にじっと見てみたくなった。
 そんなことを考えながら、蛇行する道に合わせてハンドルを切る。右、左、右、と集中していたら、気づくとどんどん道は細くなり、どう考えても行き過ぎだという場所まで来ていた。夏のスキー場は人もおらず、声をかけられることもない。それは誰か注意されたくなるほどで、ひとり寂しくUターンをしていたら、背の高い草の向こうに作品らしきものを見つけた。
 なんだ、こんなところに。
 その日1日、何度もそう思った。
 こんなふうに道に迷いながら、見知らぬ町を走りぬけた。
 どうしても見つけられなかった作品、平日は見られなかった場所、遠回りしてやっと見つけた作品、帰りの時間を考えてあきらめたところ。無駄が多かったことは否めないけれど、ぐるぐる巡っていること自体におもしろさを感じていた。そうしたら、不器用なりにもよくがんばりましたとアートの神さまにご褒美でももらったように、ひょっこり思わぬものに遭遇した。
 どこまで続くのかと思うほど長かった上り坂で、棚田を見つけた。
 それまですれ違う車も追ってくる車もない道の脇に、棚田と書かれた看板を見つけた。ほんの短い間迷い、ここはやっぱりと車を停めて道を横切り、カーブの下を覗き込んだ。そこには、ゴルフ場のグリーンのような田んぼが、段々になって見えた。人の姿はない。けれど、確かに誰かがここでお米を作っている。生きていくってこういうことなんだと、思った。
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 まつだい雪国農耕文化村「農舞台」で昼食をとり、周辺の作品をゆっくり見て休憩したあと、川西町のナカゴグリーンパークと十日町の越後妻有交流会館「キナーレ」でいくつかの作品を見て、大地の芸術祭の里巡りを終えた。
 車を返しに行くと、レンタカー会社のおばさんがわたしのリュックを見て、駅まで? と聞いてくれた。歩くと10分ほどの距離だったけれど、その日も陽射しは蔭ることはなかったのでありがたく送ってもらった。
 列車の出発時間まではまだ20分以上ある。でももう動きたくない。
 ホームに停車していた列車に乗り込むと、学生服のこどもたちがすでにシートを占領していた。どきりとしたけれど、運よくボックスシートが空いていたのでそこに腰掛け、列車の出発をおとなしく待った。
 列車の終点は長野駅。その日で新潟を抜け、いよいよ長野県に突入。
 その時点で旅はまだ折り返しにもなっておらず、いつもながらこの旅に終わりがくるようなきもちにもならない。そして不思議と、今回の鉄旅では、ひとりでいる瞬間が寂しくてたまらなくなることは1度もなかった。本気で、どこまでもどこまでも行けそうな気がしていた。
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by fastfoward.koga | 2010-09-01 22:11 | 旅行けば