言霊の幸わう国

本日、回帰

 パソコンの中身がすべて消えてしまうかもしれないと言われた日、考えた。
 1番なくなって困るものはなんだろうと。

 旅の写真か、今まで読んだ本のリストか、亡くなった友人とやりとりしたメールか。
 どれもそのままであってくれれば、と思った。
 でもそう思う反面、すべてなくなったらという想像も難しくはなかった。

 真新しいパソコン。
 同じように、生まれ変わった自分。
 と、きっとわたしは勘違いするのだ。

 いつまでたっても、そんな夢みたいなことを考えていた。

 パソコンが自分の手元になくてそわそわしたのは、初めの3、4日ほどだけだ。
 音博のレポを書き上げたら、しだいにその熱も冷めていった。

 書けないという事実は、自分を解放するきっかけになっていた。
 大粒の雨に、andymoriのワンマンライブ、眠れずに過ごした夜と次の日頭痛で早退したこと。
 ブログが書けたら今日はこんなことを書くのに、と負け犬の遠吠えのように毎晩思っていた。
 
 けれど自分は知っていた。
 1番なくなって困るのは、記憶だと。
 
 書きたくても書けない状況に、自分はどれくらい耐えられるだろうか。
 思っていたのは、初めだけ。

 自分が耐えられないのは、考えられなくなること。

 見たもの、聴いたもの、感じたことを元に思考を働かせ、その意味を考える。
 それができなくなったら、死んだも同然だ。
 そして例えそれができても、それを残せなければ自分じゃなくなるだろう。

 そういう意味では書くことは連鎖して必要なことに含まれそうなものだけれど、きっと今書いていることは書かなくてもわたしの記憶には残る。
 いくら人の脳に忘却スイッチがあって、それを自分の自由に操作できなくても、忘れずにいられることはある。
 数は少なくなるけれど、不可能じゃない。

 そんなことを書きながらも、このブログがパソコンのメモリーとはまったく別のものだったことにほっと息をついたのだ。
 ここには書いたことで安心して忘れてしまっているものが、いくつもある。
 この数年は、それを時折確認して前に進んできたのだから。

 たら、れば、の世界にひと晩どっぷり浸かり、見つけたものは書くよりも考えることだった。
 けれど、ひとりの頭の中で考えたことをそのまま蓄積させられる器でもなく。
 結局誰かと繋がっていたいと、人は、わたしは思ってしまうのだ。

 そういう意味で、バーチャルリセットは無駄ではない。 
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by fastfoward.koga | 2010-10-01 22:32 | 一日一言