言霊の幸わう国

言葉の輪に飛び込む

 昨日本屋に寄り道して、『BRUTUS』を買ってきた。
 最新号は、「せつない気持ち。」特集。
 そうそうこれはせつないよなあとか、ふーんそうなのかと、ひらひらとページを捲った。

 最近、わたしがせつなさを感じたことと言えば。
 卒論研究の草稿を書くためにひろい読みした島本理生の、『ナラタージュ』と『波打ち際の蛍』のクライマックスからエンディングにかけて。
 これは何度読み返しても、胸がひりひりしてベッドに突っ伏してしまう。
 そして昨年末からちびりちびり聴き続けている、フジファブリックの『若者のすべて』。
 大人買いした、いくえみ陵の『潔く柔く』の全13巻。
 いつも市長選で落選しているおじさんが赤いジャンパー姿で街頭演説する姿。
 木皿泉脚本のドラマ『Q10』のセリフのいちいち。

 1度にたくさん思い出そうとすると、秋の夜長にはせつなさがせつなすぎて駆け出してしまいそうになる。
 体には、よくない。 

 でもいつも、「せつない」という言葉を聞いて思い出すことがある。
 それは、山田詠美が編集した『せつない話』(光文社文庫)のあとがきに書かれていた「せつない」に当たる英単語はたぶんない、という言葉だ。
 もう10年以上も前に読んだその言葉をわたしはずっと忘れずにいて、思い出すたびにちょっとした優越感に浸っている。

 今回も同じように、特集の中でいろんな人が語る「せつない」を読みながらそのことを思い出していたら、やっぱりあった。
 タイトルもドンピシャ。「英語で『せつない』ってどう言いますか?」というページだった。
 内容は、翻訳家の柴田元幸氏とニューヨーク出身の作家のロジャー・パルバース氏が「せつない」という言葉と「せつない文学」について語っているのだけれど、読み始めてすぐに、ああそうかと妙に納得する柴田氏の言葉に行き当たった。

「よく『英語には”懐かしい”という意味の単語がないから、これは日本に独特の感性だ』とか言われたりしますよね。でも、厳密に考えれば英語の『happy』という言葉に100%対応する日本語だってないわけで。」

「happy」という単語は、すっかり日本語に定着していると思っていた。
 けれど、わたし(たち)が自分(たち)の思いを表現するために使っているのはあくまでもカタカナの「ハッピー」であって、英語を自由に操る人たちが同じように使う「happy」とはどこか違っているのかもしれない。
 そして同じようなことは、おもしろいことに日本語同士でも起こりうる。

 ときどき相手がまともなことをごく普通に話しているのに、耳に入ってきたとたんに言葉がしゅるっと融けてしまうことがある。
 どうしてこの人の言葉はわたしの胸に響いてこないのかと、適当に相槌を打ちながら考えてみるのだけれど、おそらく相手とわたしの言葉に込める思いや感情の種類に違和感を覚えていることが要因なのだろう。
 そういうときわたしは、その言葉、あなたとわたしの中では意味がちょっと違ってるんだなあなんて内心思いながら、相手の目を見て頷いている。
 ひどい話だ。
 でも逆に、差異を認識した上でそこを詰めることができたときは、ぐんと相手に近づく気がする。

 数日前、名古屋でcayoさんとasntbsさんに会ったとき、「とっきんとっきん」という言葉と「やっとかめ」という言葉を教えてもらった。
「とっきんとっきん」は尖ったものの様子を表わす言葉で、「やっとかめ」は「八十日目」と書き、久しぶり=80日経たないうちという思いが込められているそうな。
 どちらも名古屋弁で、ネイティブカンサイジンのわたしにはそこに詰まった言葉のほどよい重さにはピンとこないのだけれど、言葉の響きや謂れを教えてもらうと小さく胸が躍った。
 言葉というものが持つ、本来の姿がちらりと垣間見えたのだ。

 その夜、やっとかめにならないうちにまた、というメールを交し合ううちに、その言葉が呪文のように思えてきた。
 たぶんふたりとは違うステップにいるのだろうけれど、自分なりにしっくりくる感じがした。

 その感覚にわくわくし、もらってきた「とっきんとっきん」の木が中央に配されたポストカードを会社で使っているスケジュール帳の表紙に挟んでいたら、今日打ち合わせの途中で指をさされた。
 顔を上げると、そこには名古屋出身の先輩のうれしそうな笑顔。
 わたしは無言で、うんうんと笑顔を返した。

 せつなかろうが、とっきんとっきんだろうが、やっとかめだろうが、言葉と感情が合致した瞬間。
 それは、トランポリンで跳ねるような感じがする。
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by fastfoward.koga | 2010-10-22 21:42 | 一日一言