言霊の幸わう国

可能性の先へ

 先月提出した渾身のレポートが、添削されて今日我が家のポストにぽとんと落とされた。
 部屋に戻るまで我慢できず、階段を上がりながらホッチキス止めされた二つ折りのレポートを開いた。
 真っ先に見たのは、評価。
 見て、声にならない声を上げた。
 次にコメント。
 さっきとは違う声にならない声を上げた。

 須賀敦子に関して書いたレポートは、どうしても1番いい「S」がほしかった。
 そのために何度か締め切り期限を延ばして提出したのだし、簡単にあきらめてしまわないために学友たちにもあのレポートはどうしてもSがほしいと口にしたのだ。
 
 添削コメントの初めは、お褒めの言葉からだった。
 でも結局何度も読んで理解できたのは、先生はわたしの書いたレポートはさらりと読めるエッセイのようだと言いたかったようだ。
 論文としては物足りない、だから評価は「S」ではなかった。

 肩を落としながら、手を止めていた試験勉強に頭を切り替えた。
 レポートが期待以下の評価でも、それを踏まえて須賀敦子の作品とまた向き合わなくてはならない。
 明日は、今日返ってきたレポートの単位修得試験なのだ。
 もう1度2冊のテキストと、それらをまとめたノートを照らし合わせながら目を通した。
 でもやっぱり添削コメントが気になって、自分が書いたレポートと共に何度も読み返した。
 そして、改めてここが弱かったと思う部分を、掘り下げて考えてみた。

 そうやってテキストとレポートと少し距離をおいてみると、必死で取り組んでいたときには見えなかったものが見えてきた。
 これは、こういう意味だったのか。
 ここに、こんなことが書かれていたのか。
 そんな発見をいくつもしているうちに、論文などそう簡単に書けるものではないと思えてきた。
 確かに、いくら時間をかけても足りない気がしながらレポートを提出したのだ。
 当たり前と言えば、当たり前。
 それにわたしはもともと論文を書こうと思っていたわけではない。

 でも。
 でも、と思考が立ち止まる。
 何度もテキストを読み返し、そのたびに発見がある喜び。
 それを反芻して吟味して、ひとつの結論に達したときの高揚感。
「S」をとるという思いは有言実行できなかったけれど、このふたつを味わうことができたのは得がたいことだ。

 論文を書いてみたい。
 という思いが、ふっと胸に湧いてきた。
 それにはもっと勉強しなければならないし、そのための精神力も体力も集中力も必要になる。
 そう容易なことではない。
 けれど、それをするしないは別として、論文を書いてみたいと思った自分にまだ可能性というものがあることがただうれしかった。

 だから、今回は「S」でなくてよかったのだ。
 充たされたら、前に伸びた道筋は違うところへ行っていたはずだから。
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by fastfoward.koga | 2010-12-04 22:44 | 一日一言 | Comments(4)
Commented by mohariza6 at 2010-12-05 17:13
「論文」は難しいでしょうね・・・。
私は、結局、「卒論」は公に出さず、卒業しました。
結果を出していたので、それでも、<優>で卒業出来ましたが・・・。
要は、<中身>で、論文の文は、結局は意味は無いのかも、知れません。
その<卒論>は、私には、<大学の忘れ物>として、ずっと、気にはなっていますが・・・。
「論文」は、<中身>と思い、「独創性」等、読む(評価する)人を唸らせることが、肝要と思います。

頑張ってください。


Commented by cool-october2007 at 2010-12-07 06:47
須賀敦子さんで論文を書けるってすごいと思いますよ。なにしろ彼女の文章は重層的ですからねぇ。
Commented by fastfoward.koga at 2010-12-08 21:49
mohariza6さん、こんばんは。
お返事が遅くなって、すみません。
激励、どうもありがとうございます。
Commented by fastfoward.koga at 2010-12-08 21:51
coolさん、こんばんは。
須賀さんの作品は、ほんとに読めば読むほど発見があります。
coolさんのおっしゃるとおり、重層的ですからねー。
まあ須賀さんで論文を書くことは現実になりそうにありませんが、読むことはくり返していこうと思います。