言霊の幸わう国

海あり山あり 日本列島輪切りの旅  「終わりの予感」

★7月31日(土)
 8:42 岡谷駅発 ⇒(中央本線)⇒ 8:47 下諏訪駅着   -下諏訪散策-
 9:28 下諏訪駅発 ⇒(中央本線→飯田線)⇒ 11:53 元善光寺駅着   -元善光寺散策-
 13:17 元善光寺駅発 ⇒(飯田線)⇒ 13:27 飯田駅着   -飯田散策(昼食)-
 14:41 飯田駅発 ⇒(飯田線)⇒ 18:13 豊橋駅着
 18:27 豊橋駅発 ⇒(飯田線)⇒ 18:46 豊川駅着   -豊川散策(夕飯)-






 時折、無性にしたくなることのひとつに、ビジネスホテルに泊まりたくなることがある。
 コンパクトな造りの部屋に、最低限の家具がきっちりと納まった感じと、無味無臭の空気にいつもと違うベッドの硬さ。枕が低くて遮光カーテンだとなおよく、決して広いとは言えない手を伸ばせばすぐ届く部屋の中で、何者にも邪魔されずしたいことだけをして過ごす部屋。なにもかもが揃っていない不自由さがよく、旅が長くなればなるほど、今晩はこれを足してみようとスーパーやコンビニに立ち寄って、その日自分に必要だと感じるちょっとしたものをプラスするのが楽しみなる。それは時にはビールだったり、爪やすりだったり、おせんべいだったり、フェイスパックだったり、駅前に置かれたパンフレットだったりするのだけれど、どれもひと晩でその存在がなくなっても後悔しないくらいのものだ。もちろんおみやげではないから、うちにまで持って帰れなくていい。根本的に、日常欲するものと旅の途中で欲するものは、違っているように思う。
 転々としながら1週間近く旅をしているとよくやってしまうのが、部屋番号がわからなくなることだ。チェックインしてから夕飯を食べるためなどで出かけてフロントにキーを預け、戻ってきた瞬間に今晩の部屋番号の記憶があやふやなことに気づく。確かこれだったような、と思いついた番号を口にすると、あっていることもあれば間違っていることもあるのだけれど、以前堂々と前日泊まった部屋番号を告げフロントマンに怪訝な顔をされてからは、自信がないときは申し訳ないという顔で名前を言うようにしている。きっと相手はよっぽど物覚えが悪いと思っていることだろう。
 部屋に入ってリュックを下ろしたら、いつもすぐに窓の外とバスルームとクローゼットを開けて見る。ふーんと納得したところで、素っ気ない誰のものでもない部屋に荷物を広げ、そこをひと晩自分の部屋にする支度を始める。鏡の前に財布、携帯、行程表、デジカメなどを置く。洗面道具はバスルームで使うものと部屋で使うものを分けて、それぞれに配置し、明日着る洋服はハンガーに掛けるか畳んでおくかしたら、それで荷解きはほぼ終了。あとはベッドの上でごろごろするだけになる。
 長旅の始まりはそんなふうにホテル暮らしを悠々自適に過ごす。でもそれも、旅が折り返すころになると飽きてくることもある。今回は学友のIさんのお宅や、温泉のある和室の宿に泊まったりしたので、それほどではなかったものの、特徴のない部屋が続くとひととおりチェックしたら、まあこんなもんかという感想しか抱かなくなる。
 でも前夜から宿泊した岡谷駅近くのホテルは、少し変わっていた。ビジネスホテルなのにウィークリーマンションのような造りで、ドアを開けたらバリアフリーになっているものの、部屋とドア前の床の色が違っていた。これは靴が脱げるということか! と驚き、1日中履きっぱなしのスニーカーを脱ぎ捨てると思わず小躍りして奥へ進んだ。
 窓は大きく、その手前には大きな白いソファ。そこにリュックをどかっと下ろしたあと、もう1度ドアのところに戻ると、簡単な調理ができそうなキッチンがある。洗面所も兼ねているようだけれど、洗面台が大きく使いやすそうだ。わたしは、今までと違うタイプのこの部屋に、今度はほんとうに踊って跳ねた。
 前夜の和室に宿泊したときにも思ったことだけれど、靴が脱げるというのはすごいことだ。普段仕事中はサンダルに履き替えていることもあって、旅ではいくら歩きやすいスニーカーを履いているといっても、それが1日中、しかも何日も続いてくると締めつけが気になってくる。ホテルに着けばもちろん備え付けのスリッパに履き替えるけれど、すぐに脱げそうになる薄っぺらなものが快適なわけはない。だからうちにいるときのように、裸足でぺたぺた部屋を歩き回れるというのはすごいのだ。
 しかもこのホテルは、コインランドリーも洗剤も無料。おかげで最後の洗濯をきもちよく済ませ、夜ものびのびぐっすり眠ることができた。

 夜どんなに充分睡眠をとっていても、列車に揺られると眠くなる。これがまたきもちがいいのだけれど、せっかくの飯田線で、わたしは乗車してから1時間はリュックを抱えて居眠りをした。
 それと言うのも、想像以上に車内は混雑していたせいで、車窓を楽しむどころではなかったのだ。でも席が確保できただけましだった。その日は前夜に急におみやげがどこかで買えないものかと考え、わざわざ逆方向の下諏訪駅まで行き、結局手ぶらで中央線を経由して飯田線に入る豊橋行きの列車に乗るという一見無駄なことをした。でもひとつ手前の上諏訪駅が始発だったというのに乗車率はそこそこのもので、あやうく元々乗車するはずだった岡谷駅からだと座ることができないまま、1時間近く列車に揺られなくてはいけないところだった。
「鉄」なら1度は乗らねばならぬ飯田線。岡谷・豊橋間の乗車時間は6時間。たいていは真ん中あたりにある飯田で1度は乗換えをしなくてはいけない。でも1日に2本、午前と午後に1本ずつ直通の列車がある。わたしが乗車したのはその午前の1本で、だから乗車率が高かったのか、鉄度が高かったのか、どっちにしても落ち着かず思ったように列車に乗っていることを楽しめなかった。
 どこかで途中下車するつもりではいたから、これは早めに1度降りたほうがいいと、車内で時刻表をめくる。もともと飯田では昼食をとるつもりでいたものの、できればその手前で降りたい。でもガイドブックは手元にないし、頭の中にも情報は入っていない。あまりの予備知識のなさに、どの駅でも降りられない。
 どうしたものかと路線図をじっと見つめる。すると、飯田駅の手前にある元善光寺駅に目が止まった。急いで携帯で「元善光寺」と検索したら、そのお寺は駅からそう遠くない。たぶん長野市の善光寺さんや上田市の北向観音堂と無縁ではないだろうし、これもご縁だと、元善光寺駅のホームに降り立った。
 行ってみてわかったことだけれど、元善光寺さんは長野市にある善光寺さんにあるご本尊がもともとあったことからこの名がついたそうだ。また北向観音堂と同じく、善光寺さんと共にお参りしないと片参りになるらしい。
 ここには、善光寺さんと同じくお戒壇巡りがあった。お参りをすませたあと、わたしは誰も中にいない暗闇の中に足を踏み入れた。壁を伝ってどんどん奥へ入っていくと、すぐに光は視界から消えた。壁に手を添えていないと、前にも後ろにも進めないし、目が慣れても暗さは一向に変わらない。これがほんとうの暗闇だと、自分に言い聞かせた。これが暗闇だと体で覚えておかなくては、となぜか思った。
 目の前に光がわずかに見えたら、それはあっという間に広がった。さっきまで目を開いているのになにも見えなかったのが、嘘のようだった。
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 元善光寺駅に戻り、再び列車に乗ったあと今度は飯田駅で下車した。
 飯田のことはよくわからないものの、なにか特産らしいものが食べられないかと、制限時間1時間の中駅周辺を歩き回る。でも欲している店もピンとくる店も、見つからない。旅の嗅覚も8日目ともなると鈍るのかと思いながら、結局探し始めたときにすでに見つけていたカフェに入った。
 こういう日もあるか。そう思いながら、せめてもと、信州飯田ではおでんはこれをつけて食べるというネギだれを使ったパスタを注文した。でもこれが驚くほどおいしく、食べ終わったあとも余韻を楽しむほどお腹も心も満腹満足させることができた。
 駅に戻る途中は、コンビニに立ち寄りグリコのカフェオレを飲んだ。旅では汗をよくかくこともあり、飲むのはスポーツドリンクか爽健美茶ばかりで、なかなか甘いジュース類は口にすることは少ない。でもこのときは甘いものがちょっとだけ飲みたくなって、普段仕事のときに疲れたなあと思ったときに買っていたものに手を伸ばした。
 暑さのせいで、コンビニの前でストローをさしたら、とたんに飲み干した。ずずずずず、という音が小さく響いた。

 飯田駅から乗り込んだ列車は、朝ほどではないものの人の姿が目につき、のんびり車窓を楽しむほどではなかった。窓下には、線路に沿うように流れる天竜川の澄んだ緑の水の色。それをもったいない思いで、ちらちら横目で眺めるだけに留めた。またここには来ればいい。今度は何度も途中下車して、もっと時間をかけて乗ればいい。そんなふうに、きもちを宥めた。
 うとうとしたり、文庫本を開いたり、どちらかというとあまり聞きたくない周囲の会話を耳にしているうちに、気づくと駅名表示に記された住所が静岡県に替わっていた。
 4日間にわたった長野の旅も、終わり。そしてこの夏の鉄旅も明日まで。
 どこかでなごり惜しむきもちが現れたのだろうか、豊川で下車するところを終点の豊橋まで行って折り返した。豊川駅に戻ってからはいったんホテルにチェックインし、陽が暮れるころ夕飯を食べるために外に出た。豊川と言えば、鰻。鰻でお腹を充たしたあと、帰り道コンビニに寄って普段買わない『an an』をレジに持っていった。
 そのときのわたしは、心身ともに旅体質から抜け出そうとしていたのだろうか。
 それにしても、旅の終わりは達成感と寂寥感が入りまじり、いつも少し自分のきもちを目隠ししたくなる。
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by fastfoward.koga | 2010-12-28 20:12 | 旅行けば | Comments(2)
Commented by cool-october2007 at 2010-12-31 11:00
ビジネスホテルの記述、僕も同感です。
人生、そんなに持ち物が多くなくてもいいんじゃないかって、改めて考えさせられます。

僕の理想は……ちゃぶ台と茶箪笥以外にはなにもない和室かな。
松江のラフカディオ・ハーンの旧家みたいなイメージです。
Commented by fastfoward.koga at 2010-12-31 12:35
coolさん、こんにちは。
何年もくり返し旅に出ていると、だんだん持ち物がシンプルになってくる気がします。
失敗しているうちに、いるものといらないものがわかってきて。

人生も同じなんですね、きっと。

松江のラフカディオ・ハーンの旧家、わかります。
ああいうこじんまりした良さ、わたしもすきです。