言霊の幸わう国

フラフープ

 2010年、最後の日。
 大掃除は昨日の午前中までに終えているので、今日は朝からブログを書いたり、来月早々に提出する(正しくはしなければならない)エッセイの課題の準備をしたりと、ずっと机の前に座っている。

 本棚から有名作家のエッセイ本を抜き出し、拾い読みをくり返す。
 思いつくままページを捲り、気になった作品に行き当たると長さを確認。
 ペンを片手に「1、2、3・・・・・」と、さっきから文字数を数えている。
 数を数えると言えば、今年もあと7時間と少し。
 大晦日になにやってるんだか。

 デスクの前に座ったままときどきカーテンを捲り、外を窺う。
 今日は、わたしの住む町も朝から雪が舞っている。
 今はいったんやんでいるけれど、きっともう少ししたらまた降り始め、年が変わるころには積もるんじゃないだろうか。

 さっき、自分がこの1年に書いたブログの記事をざっと見返していた。
 旅にライブに、愚痴に嘆き。
 12月に入ったころから、例年どおり今年1年を漢字1文字に表わすとしたら、「案」だなと考えていた。
 悩んで、考えて、途方に暮れて、でも考えて。
 案じて案じて、案じて案じ続けたような気がする。
 
 でも出会いも、感激も、高揚もあった。
 案じてばかりいても、ずっと下を向いていたわけじゃない。
 さっと手を差し出された縁やつながりに、ひと筋の光明を見たことが何度もあった。

 先日、FM802でやっているandymoriの壮平のラジオで、andymoriの「mori」は藤原新也の『メメント・モリ』からとったこと、その本を読んでインドに行こうと思ったことを初めて知った。
 久しぶりに読んだ堀江敏幸の『回送電車Ⅲ』では「ユルスナール」の名を見つけ、長嶋有の『いろんな気持ちが本当の気持ち』が名久井直子だったこと、今読んでいた向田邦子の文庫『父の詫び状』の解説が沢木耕太郎だったことに気がついた。

 どこも1度自分が通った場所なのに、そのときは別のことに気をとられていたのか、目に留まっていないことというのはほんとうに多い。
 でも、気づくたびになんてもったいないことをしているのかと反省したり、後悔したりするのだけれど、同じ心のどこかで、今だから気づいたんだよな、なんて納得している自分もいる。
 今年もそんな2度目、3度目の出会いでほんとうの出会いを果たしたものは多く、くり返すことの大切さを今一度考えたりした。

 本を読み返す。
 音楽を聴きなおす。
 同じ町に旅に出る。
 手帳に書き込んだ予定を見返す。
 書いたレポートやブログを読みなおす。
 何度も人と会う。
 
 そういうことの中から、わたしはまたひとり反芻する。
 今気づいた、引っかかった意味はなんなのかな、と。

 もしかしたら、人はフラフープのような輪の中にいるのかもしれない。
 そして、何度も巡り会う人やものはみな惑星のように、わたしが気づくまで周りを回っているんじゃないだろうか。
 フラフープの回転が速くても気づくもの、遅くなって気づくもの。
 どっちも気づくのは自分次第。

 世の中すべてに意味があると思っているわけではないけれど、掠め取ったものには意味や価値を見出したいなとは思う。
 来年も、同じようなことがくり返せるようにという願いを込めて。


 年々更新頻度が落ちている中、読んでいただいた皆さまありがとうございます。
 来年は卒業制作を控え大わらわな1年になると思いますが、スローペースででもブログは書いてゆくつもりです。
 残っている「さんご」も、忘れてはおりません!
 来年も自問自答しながら進んでゆきます。
 よろしければ、またお付き合いください。

 では、皆さま、よいお年をお迎えください。 
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by fastfoward.koga | 2010-12-31 17:25 | 一日一言