言霊の幸わう国

いくつになってもスタートは春

 タイミングとはなんなのか。
 考えているときは答えなど見つからず、大なわとびのように考えているうちは飛び込むことはできないもの。
 今だ、行け、今を逃すと前には進めない。
 そう自分を鼓舞しても、うまく足は出ない。
 右、左、右、左。
 例え一歩ずつ前に足を踏み出しても、肝心なところで歩みは弧を描く。
 最後はフェードアウト。

 でもいつも、そんなふうにうじうじしているわけではない。
 迷いも不安も恐れも感じる間もなく、ひゅんと走り出すこともできる。
 例えば、再び大学に行こう、そう思ったときがそうだった。
 ひとまず資料請求をと思いながらも、きもちは決まっていた。
 そのとき、周囲の人に言われたような壁はそこにはなかった。
 目の前にあるのが自動ドアで、前に立てばドアは開き、するりと通り抜けられることを考えずにわかっていた、という感じ。
 調子がいいときは、そういうことができる。

 自分の体の中に重心がぶれない芯があり、地球のバランスをさも自分がとっているかのような感覚。
 アンテナを張ろうと意識を持たなくても、見たいものが見え、知りたいものを知ることができる感覚。
 足の裏で地面を感じているのに、高揚感で自分が数センチ浮いているような感覚。
 
 そんな感覚は、なにかが起こったあとの結果から生まれるものではない。
 どちらかと言うと、これからなにかが起こるという前触れに近い。
 でもなにもないのにひとりわくわくするだけだから、誰かに話すことはできず、あれ? なんでこんなにきもちが高揚しているのか、とこっそり思うのだ。

 ベストコンディション、と言うのだろう。
 なんとなく、自分に起こった日々の出来事がみな「だからなのだ」と思える。
 理由のいちいちはわからなくても、そういうことなのだと納得することができる。
 それがわかると、このあと自分がどうすればいいのかもわかる。
 これがきっとタイミングなのだ。

 ただその巡りは、感覚が研ぎ澄まされている状態が続けばの話で、なにかの拍子に風船みたいにしぼんでしまうのが常だ。
 メンテナンスされていないと、長くは続かない。
 だからすぐタイミングの意味を見失う。
 状態に驕っていたら、足元をすくわれる。

 少し前から、感覚がものすごく冴えていた。
 どうしようもないくらい人の話や周囲の空気に惑わされていた数ヶ月前に比べると、それは霧が晴れたような気分だ。
 そんな中、あっ今だ! と自分でも気がつかないくらいの速さでひらめいた。
 ひとり暮らしをしよう。
 そう決めた。

 なんとなく間取りをチェックし始め、なんとなく周囲にそう洩らし始め、でも行動に移した時点で最後まで実行することは決めていた。
 今度はできる、と疑うことなく思った。
 その証拠に、知らなかったことを知るのはなんと楽しいことなのか、と今思っている。 
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by fastfoward.koga | 2011-02-12 22:59 | 一日一言