言霊の幸わう国

欠落と渇望の先に

 2ヶ月間、生活と生活することを考えていた。
 ひとり暮らしすることを会社ではほとんど口にしていなかったから、生活に変化があったことを悟られないことはいつしか重要なことになっていた。
 安易に外食しないこと、お昼のお弁当を作ること、着たい洋服をいつでも着られるようにすること。
 それは意地だった。
 誰に見せつけるというものでもないのに、ひとり暮らしを後悔するようなことにならないように、心を砕いていた。
 それを含め初めてだというだけでいろんなことがもう新鮮で、生活することとそう感じている自分を楽しんだ。
 でもそういう時期が永遠に続くわけはなく、ぽつりぽつりと思考が途切れ始めた。

 この間読んだ、雑誌『SWITCH』創設者の新井敏記著『鏡の荒野』に、書かれていた言葉。
「きっと本当に満たされていると、人は旅をする必要がないんです。彼らは朝起きて漁師たっだら釣りに行く、農家だったら畑を耕す。そうして一日が終わり一年が終わり十年が過ぎていく。ここで生まれてここで死んで、そうして人生が巡っていくことを本能的に知っている。土地に根ざして生きている人は強い」
 この言葉を、わたしは実際に自分の耳で聴いていた。
 昨年11月のスクーリングでのことだ。
 この言葉には、まだ続きがある。
「その尊さを旅人はどこかで恐れ、拒否してしまう。彼らは『ここではないどこか』を求めて歩く。そんな場所はないと知りつつも探さずにいられない。『どこか』が『ここ』になるとまた違う『どこか』を目指す。延々にたどり着けない『どこか』があると信じて歩く。それはある意味では欠落だし、渇望を抱えていることでもある」
  
 授業中、それならばと思っていた。
 旅に出られるなら、欠落していてかまわないと。
 いつまでもどこまでもここではないと旅に出るなら、どこにも根ざさず生きてゆこうと、小さな決意が胸に芽生えていた。

 ひとり暮らしは、始めてみると旅のように感じた。
 でもそれは等価ではなく、あくまでも近似。
 一瞬ここに自分は留まるのだろうかとも考えたけれど、根ざしはできない。
 やっぱりそれはできないのだ。

 今日五分袖のパーカーを着て、今シーズン初めて手袋をせずにベスパに乗った。
 初夏の風はそよそよと吹き、肌と洋服の間を通り抜けていった。
 この風はどこから吹いてくるのか。
 風上にあるものが見たい。
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by fastfoward.koga | 2011-05-08 00:08 | 一日一言