言霊の幸わう国

生き延びる

 最近毎朝目覚ましを止めた途端に、仕事を休む理由がないか考えるようになった。
 起きぬけでも意外と頭は働くもので、理由がないという結論に達すると、今度は抜け道がないかと休めるかどうかを考え、どっちもないんだよと自分に無言で語りかけるのが起き上がるまでの一連の動作。
 掛け布団と同じく体をふたつに折り曲げる起きかたは、単に眠気との闘いというよりは、葛藤の表れだろう。
 と、自分では思っている。

 今朝は特に前夜早く寝たにも関わらず、憂鬱さを引きずってうちを出た。
 1日中アクセルを全開にせず、のらりくらりと仕事をこなしていた。
 けれど夕方になって打ち合わせのあと、「今日残業は?」と聞かれた瞬間、また胸にいやあな靄のようなものが広がった。
「今日は帰ります」
 そう言って、その通りに帰ってきた。
「お先に失礼します」
 残業しないのはわたしひとりだったのか、デスクに張りついたままの人たちに挨拶したら、残業しないことに罪悪感を覚えた。
 あーやだやだ。残業することに慣れちゃあいけない。
 そう心の中で何度もつぶやきながら、電車に乗った。

 混んだ車内は、体内に潜むあらゆる負の要素を引き出すには十分だった。
 じいっとうちまで耐えるしかないかと思っていたら、次の停車駅で目の前の席がぽっかり空いた。
 もう周囲のことに煩わされ、感情を振り回されたくないと、すぐにこの数日持ち歩いている文芸書を開いた。
 文芸書は家で読むという暗黙のひとりルールを破ってまでも持ち歩いているその本は、厚さが3.6センチある、先週の土曜日の面談後立ち寄った書店で購入したものだ。
 別の文庫本目的で店内に足を踏み入れたというのに、ちょうど目の高さに表紙を前にして斜めに掲げられたその本をわたしは迷わず手に取った。
 そして手にした途端に、思った以上に左手の親指と人差し指の間が空いたこととその重量感に、軽く目をむいた。
 でも面談が終わったあとの解放感は、臆することはない、とわたしの背中を押した。

 そこから読み始めること6日間。
 帯のコピーに「保育小説」と書かれた堀江敏幸の最新刊『なずな』は、読んでいると心が安らかになる。
 物語は、ある様々な理由から弟夫婦の産まれたばかりのこども、姪の面倒を見ることになった40代のひとりものの男性が主人公で、赤ん坊の成長を軸に町のこと、近所の人のこと、職場のことが、いつもの堀江節でゆるりゆるりと、しかしながら心を鷲掴みにする言葉を随所にちりばめながら、描かれている。

 今は10分の9くらいまで読み進めただろうか。
 そろそろ親元へ赤ん坊を返す時期が近づいてきたことが、少し前に読者にも知らされた。
 伯父と姪の物語には終わりがあることは初めからわかっているのだけれど、別れの、別れたあとの寂しさがもうすでに読み手の自分にも生まれている。
 
 昨晩は、眠気に勝てずほんの数行だけ読んで本を閉じた。
 それでもこの世界に身を置いている間は幸福だという思いが、そのままの言葉となって自分の体内にすとんと落ちた。

 物語の中で、赤ん坊が笑ったのかどうか主人公が迷う場面がある。
 こどもを産んでも育ててもいないわたしは、赤ん坊が成長の中で初めて笑う瞬間があることに初めて気づかされた。
 この物語を読み終わったら、わたしの現実は目の前にあるものだ。
 逃げ腰になることも、憂鬱になることも、苛立ちを覚えることも、みな消えてはなくならい。
 けれどそんな感情も、「初めて」の瞬間はあった。
 風呂場で思わず顔を覆った手も、物を掴む力すらなかったときがあったのだ。

 不思議だな。
 そんな思いでいれば、まだ生き延びられる。確実に。
[PR]
by fastfoward.koga | 2011-06-02 22:14 | 一日一言