言霊の幸わう国

本選び

 昨日の夜、Y嬢からメールが届いた。
 メールには「××ちゃん(わたしの名前)が読む本を選ぶ基準はなあに?」と、たった一文だけが書かれていた。
 相変わらず、シンプル。突如思い立ってメールをした、って感じ。
 でも、わたしはすぐに答えが頭に思い浮かばなかったので、一晩寝かせて返信した。

 改めて聞かれると、基準はなんなのかなと自分も思った。
 もちろん欲求に従い読みたい本を手に取るのだけれど、読みたいと思わせるものがなんなのか? その答えに、自分自身でも興味がわいた。

 わたしは毎日、新聞を読むので、新刊の広告や日曜日の書評は必ずチェックしている。
 それに定期的にいろんな本屋をのぞくので、行けばまず平積みされている本はざっと見る。
 平積みされるのは、新刊かその本屋さんのお薦めなので要チェックなのだ。
 急いでいるときにはたいていその中から選ぶことが多いけれど、ゆっくりと本屋さんにいられるときは店内をうろうろしながら、背表紙をずずずと追って見て選ぶ。

 もちろん大きい本屋さんの方が、種類が多いからいい。店内に入ると、子供のようにわ~いと駆け出したくなる。
 でも店が大きくて種類が多いから必ずほしい本が見つかるかというと、そうでもない。
 どちらかというと、選ばれる側より選ぶ側の問題なのだ。

 本が読みたいと思っていても、読むわたしが閉ざしているとどんな本も選べない。
 選んでいるときに言語化していなくても、なんとなく今の自分のきもちが自分で理解できていればなにかしらの本は手に取れる。
 でも、なんとなく、う~ん・・・、といったスッキリしないうじうじしたきもちのときは、見ても見ても本は選べない。
 わたしの心の中に探知機があって、探知機のレベルをうまく合わせられているときにはビビビと欲しているものに反応する、といった感じだ。

 昔から、本がほしくてほしくて本屋さんに行ったのに、結局1冊の本も買えずに店を出たとき、いつも「調子悪いな、わたし・・・」と思っていた。店を出て、買えなかった自分にまずガッカリするのだ。
 ほしいものが見つからないのは、わたしにとっては決してよいことではない。
 だから本屋さんに行くときは、自分をガッカリさせないようにと心の一部分が研ぎ澄まされる。

 結論。
 わたしが選んだ本は、自分を映す鏡なのだ。 
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by fastfoward.koga | 2005-05-12 00:13 | 一日一言 | Comments(0)