言霊の幸わう国

第八夜の東京タワー

 東京オペラシティでのコンサートの始まる6時間半前、わたしはまだ大阪にいた。
 9階から2階へと階段を駆け下りながら、歌っていたのは『天気読み』。
 誰もいないことをいいことに、ハナウタよりももっと少しくっきり歌っていた。

 予定より30分遅く会社を出、急ぎ足で新幹線に乗る。
 遅れた昼食をとり、1週間分の睡眠不足で楽しみが半減しないように、少し眠っておこうとシェイドを下げて目を閉じた。

 小沢健二ことオザケンが、約2年ぶりにコンサートをやると聞いたとき、胸が踊った。
 けれど今度は全国ツアーではなく、会場はすべて東京オペラシティ。
 でも、きもちはひるまなかった。
 わたしが行けばよいのだと思えることは、心強かった。

 1泊分の荷物を下げてキラキラした東京オペラシティの中に入ると、すぐにクロークを案内された。
 その日のトーキョーは暖かく、翌日の気温に合わせて着ていたニットカーディガンは重さとなって肩に引っかかっていたから、カウンターで大きめのカバンとともに差し出したとたん身も心も軽くなった。
 そのままグッズ販売のコーナーを流し見て、向かった先はロビー奥。
 弾むようにカンターの向こうに「ビール!」と注文すると、出てきたのはキンキンに冷えたアサヒスーパードライ(小瓶)とこれまたキンキンに冷やされたグラス。
 ドンピシャな銘柄とビールをおいしく飲むための心配りに、まだグラスを口元にさえつけていないというのにくらくらした。
 ロビーには、思い思いにおしゃれしてきた人たちが溢れていた。
 それを眺めながら、わたしは早すぎず遅すぎずのペースでビールを飲み干した。

 階段をくるくる回り、チケットに書かれた席に辿りつく。
 シートに体を埋め、ステージを見下ろし、会場をひとなめして見たら、その空間に身をおいているだけで泣けそうだった。

 開演時間は、そう遅れてはいなかった。
 時計が開演時間の18時30分をさしたころ、SEはメトロノームの音に替わっていた。
 規則正しく刻まれるリズムに、思考が止まる。
 もう覚えていないくらいのたいしたことではない思考がすうっと時間の後ろに流れてゆき、ステージを覗き込んでいるとステージ中央へと歩いてゆく人の姿が、暗がりの中で見えた。
 その人は、東京スカパラダイスオーケストラのキーボーディスト、沖佑市氏。
 まだ照明が照らされていないステージで、彼はオルゴールを鳴らす。
 そして手にした本から文章を拾い上げ、第八夜のオープニングを飾った。
 わたしはいよいよ始まったことにうっとりし、その内容がなんだったのか、ほとんど覚えていない。
 ただ最後のほうで、ステージの背後に影絵で牝鹿が映し出されたら「女の子と、女の子の気分の人が歌ってください」、牡鹿だったら「男の子と、男の子の気分の人が歌ってください」、他には立ったり座ったりするタイミングを示す影絵を説明をしてくれた。
 ずいぶん上のほうから見ているわたしには少しわかりにくい合図だったけれど、そんな趣向がオザケンらしくてわくわくした。
 沖氏はそのあと、オルゴールをもう1度鳴らしてステージをあとにした。

 そうして始まったコンサートの1曲目は新曲だっただろうか。
 ひとりステージに現れた彼、小沢健二は、確か歌う前にぐるりと会場を見渡した。
 もちろんわたしがいる彼のはるか頭上の席までも。
 少しはにかむようなその表情に、思わず手を振りたくなった。

 ステージに上ったメンバーは、前回に比べれば少人数。
 コーラス、ベース、そして今回はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽四十奏。
 合間には前回のツアー同様に朗読があり、次に歌う曲へと続くエピソードが展開される。
 わたしのすきな『天使たちのシーン』の前には、「belief」についてのお話。
 日本語に訳すと「信者」ともなるその言葉について、彼はとうとうと話してゆく。
 そのときは、あと流れたイントロで次の曲が『天使たちのシーン』だということはわかったけれど、どう関係しているのかはまったくわかっていなかった。
 8分近い曲を口元だけで口ずさみ、やっと最後にそのストーリーの意味を知る。
「神様を信じる強さを僕に
生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に
僕はずっと耳を傾けている」

 そんなふうに、コンサートは小さな伏線を残しつつ音楽を奏でてらててゆく。
 その時間が積み重ねられてゆくたびに、彼が伝えようとしていることが膨大な量だということに気づき始めた。
 量を伝えるには、単純に時間がかかる。
 けれど彼は、それを時には熱情で伝えようとする。
『強い気持ち・強い愛』では、相変わらず長くて細い脚、左足を何度も何度も踏み鳴らして歌った。
 ある時を境に(と、わたしは思う)、彼が作り歌う歌は愛の溢れるものになった。
 その熱くて重い思いを受け止められない時代もあったけれど、この日はステージを見つめながら脳裏では自分の過去の恋愛模様が過ぎっていた。
「ラブリー」な詩が、その晩はするする頭に入ってゆく。
 入った言葉は、さあっと脳に沁みこんでゆく。
 その名でこれだけの人を集め、会場全体で人を幸せな気分にさせることができる彼を、いい、と思った。
 過ぎ去った時間の中でぐるぐるといろんなところへ巡った結果、わたしもカドが取れたのだろうか。
 道筋を自分の中で描いてみたら、くすりと笑みが洩れた。

 
 終演時刻は、22時15分。
 人身事故による運転見合わせなどに巻き込まれながら、品川駅前のホテルに到着したときにはもうあと少しで日付が変わる時間になっていた。
 いったんチェックインしたあと夕食を、と思っていたエレベーターホールからは赤い灯りをまとった東京タワー。
 コンサートのステージでも東京タワーは影絵で何度も映し出され、彼も何度もそのフレーズを歌っていた。
 0時になったら消えるその灯りのことは知っていた。
 けれどあまりに遅い夕食にありつけたところで、頭から消え去っていた。
 ただ、煌煌と店内を照らし出すファミレスの窓に映る自分の面持ちを、こんな時間にこんな場所にいることを不思議に感じていただけだった。
 再びエレベターが上ってゆきホールでさっきと同じように窓の外を見たとき、それまでの余韻すらも消えたような気がした。
 急に魔法がとけたかのように、きもちは静かにしぼんでいった。
 部屋に戻り、明日の起床時間を気にしながら寝支度に入る。
 荷物を広げ、カバンにしまう。
 シャワーを浴びたあと、あきらめきれずにカーテンを開けた。
 するとそこには再び灯りをともした東京タワー。
 そこから眠るまでの短い間、何度もその姿を確認した。
 
 今回の小沢健二のコンサートタイトルは「東京の街が奏でる」という。
 その日1日のうちの何分の1か、トーキョーで過ごした時間は必然だったんじゃないかと酔いしれて眠った夜。
 誰に会いに行った夜。
 それはそれは、うっとりするような幸せな時間で。 
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by fastfoward.koga | 2012-04-08 21:27 | 一日一言