言霊の幸わう国

埋めるのが穴か、埋められないのが穴か

 執着を手放すって、ほんとうに難しい。
 心のどこかで、これだけ思ってきたのだからというきもちがどうしても消えない。
 その思いが、いつでも手放す邪魔をする。

 今まで、時間の流れの中で自分がやってきたことは積み重なってゆくものだと思っていた。
 だから、それは捉えかた次第でという前提条件はあるものの、自分の血となり肉となるのだと信じていた。
 でも、その積み重ねるという連鎖が、今つらい。
 執着が手放せないのは、その連鎖から抜けられないからなのだろう。

 連鎖を断ち切ることは、それまでやってきたことを否定するような気がしてしまう。
 それは結局のところ自分に自信がないからなのだけれど、自信というレベルまでのものを持てないとしても、大丈夫だという確信か、とりあえずこのままでいいよという自分への労りくらいはあってほしい。
 でも考え続けると、どれもこれもやってきたなにかがあるから思えることなんじゃないの、と自問自答のループにはまる。

 負のループにはまってから、どれくらい経つだろう。
 時折、ひょっこり抜け出せそうなわき道が目に入るのだけれど、気づくと見慣れた道に戻っている。
 じっとしてても仕方ないと、人と会う時間を意識的に作ってみたりもしたけれど、どこかぽっかり穴が開いた感じは消えてなくならなかった。

 その穴は、執着していたら埋まるのか。
 埋まるわけがない。
 たまにふたをして開いてないようなふりはできても、隙間なく埋められる方法はひとつしかない。
 たくさんあるような気がしていたけれど、実はひとつだけなのだ。

 その穴は埋めることができない可能性もある。
 でも、それはもう仕方ない。
 連鎖の中の自分じゃなく、わき道の入口を認めた自分がそう思う。
 それまでの時間に起きたことは記憶の抽斗にいったんしまって、対峙したそのときに思いを口にして。
 それでダメなら仕方ない。

 どんなに乞い願っても、叶わないことはある。
 そのときは、穴は穴のまま、進むしかない。
 それは証で、いつかなにかの目印になるだろうから。
[PR]
by fastfoward.koga | 2014-11-02 23:21 | 一日一言