言霊の幸わう国

わたしがちゃんとわたしであること

 今、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」を読んでいる。
 これは、すごくおもしろい!
 内容はさることながら、わたしは著者山田真哉の文章が気に入った。

 彼は、とてもわかりやすい文章を書く。
 会計学をいかにわかりやすく伝えるかということを前提に書いているからもちろんわかりやすくなければ意味がないのだけれど、その次元を越えているのだ。
 新書というくくりは淡々と書かれるか、一方通行で書かれるものが多いと今まで感じていた中で、久々のヒットだ。ちょっと感動すら覚える。

 そんな彼が書くものに興味をもって、帯に載っていた彼の顔を見たとき、なんとなく納得する自分がいた。
 ああ、こんな顔の人ならこんな文章が書けるかも、と。

 同じようなことを、わたしは声について置き換えてみたりする。
 たとえば。
 今、ケツメイシをずっと聞いているのだけれど、どの部分を誰が歌っているのかが聞き始めたばかりのわたしはよくわからない。
 でもひとりすごくすきな声の人がいて、ジャケット写真を見ながらきっとこの人だろうと思っている。
 声は骨格で決まる部分が多いと聞いたことがあるので、どんな顔の人がどんな声なのかを想像するのだ。

 そんな想像に頭をめぐらせる中、ふと、自分はどうだろうと思う。
 わたしの声や文章は、わたしをちゃんと表現できているのだろうか、と。

 すごくすごく昔は、自分の見た目と着たい洋服とキャラクターのギャップにかなり悩んだ。
 最近は以前ほど頭を抱えることはなくなったけれど、いまだに不安になることがある。

 すべてが一致しているなんて、意外性がなくてつまらないと思うこともある。
 でも、わたしは自分の核になるものがぶれないようにしたい。
 ひとつまっすぐ筋のとおったもの、わたしがちゃんとわたしであるのかどうかをしっかり持っていたいのだ。
 要は、わかりやすい人間でいたいということ。
 そのわりには文章がまわりくどいな・・・。
 あ、それがわたしということか(笑)。
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by fastfoward.koga | 2005-08-22 00:37 | 一日一言