言霊の幸わう国

省エネルギー

 最近、以前に比べて何事においてもエネルギーが減少しているのか、発言するときにその効果について考えるようになった。

 果たして、今この言葉を発してどのくらい相手に届くのか。
 最小のパフォーマンスで最小の効果を上げるには、どの場面でどんな言葉を使えばいいのか。
 そんなことを公私ともに考える。

 こう書くとどこか打算的な匂いがしてしまうけれどよい面もあって、今までなら自分の思いだけを伝えようとして繋いでいた言葉数を減らして、効果は上げている気がしている。
 いい意味でのあきらめ。
 引いたり、待ったりができるようになってきた。

 でもいつもそんなふうに駆け引きができているわけではなく、持ってゆきたい方向が定まっているときにはねじ伏せるように言葉を重しとして使ってしまうことはある。
 話し合いが終わったあと、ひとりになって、あぁ今押し付けたなと少しの罪悪感にかられるのだ。

 自分は成人君主じゃない。みなと同じように悩み事も愚痴も口にしたい。誰かに同意されなくとも、共感くらいされたいと願う。
 でも、正直、満たされて満足感を得ることは少ない。
 それは満たされていないからではなく、満たされても満たされたことに罪悪感を覚えることがあるからだ。

 わかってほしいという思いは、ただのわがまま、エゴなんじゃないかと声を上げる自分がいる。
 それがいつも頭の中に過ぎって、ふたつの思いに挟まれて、最後は心底ぐったりする。
 正直、ばかばかしい。

 以前は、もっとシンプルに人とやりとりができていた。
 少なくとも自分のエネルギーの残量なんて気にすることなく。

 こういうのも加齢のひとつなのかな、なんて思う。
 歳のせいにして楽になれるなら、そんな楽なことはないのだけれど。
 まあでも、こねくり回して考える癖は、いくつになっても変わらない。
 それは一生ものだな。
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by fastfoward.koga | 2016-11-14 22:19 | 一日一言 | Comments(0)