言霊の幸わう国

9月9日の夜

 ふと、思い出した。
 あるころのわたしは、やたらと「怖い」という言葉をくり返していた。

 そのあるころのわたしには、心から信頼して甘えられる人がいた。
 今思い返すと、甘えられる人がいたから発することのできた言葉だったのかなとも思う。
 なぜなら、今のわたしはあのころほどだらしなく甘えられる人もいないからだ。
 そんな書き方をすると、なんだか自分はとっても悲しい人みたい。
 でも決してそういうことではなくて、でもそれは事実だと自分では捉えられることでもあったりする。

 一体、あのころのわたしはなにが怖かったのか。
 一生懸命思い出そうとしてみたが、思い出せたのは人から傷つけられることだけだった。
 確かそれ以外にも、山ほど怖いものがあったはず。
 でも具体的には思い出すことは、もうできなかった。

 そういう自分を、幸せなのかなと思った。
 思い出せないくらいなのだから、それくらいのものだったのだと。
 でもさらにまた考えると、わたしは今見えている世界のさらに外の世界を知らないだけなのかもしれないとも思う。
 たとえば、怖さも感じないくらい外に意識が向いてないとか、感じずにすむようにバリアを張っているとか、そういうことをしていないとは言い切れないな、なんて。

 そうしてまた、思考のメビウスの輪にはまってしまった。
 こうして書きながら、またさらに深く深くはまっていく自分を感じる。
 でも、そんな自分はいやじゃない。
 怖さを感じなくなった自分も、否定することはないかなと思う。
 今こんなことを考えていれば、次に怖いと思うなにかに出会ったときにより明確に鮮明にその思いをつかまえることができるかもしれないし。

 こんなことを、ハイでもなくローでもない自分で考えた。
 今日は9月9日の夜なのにな。
[PR]
by fastfoward.koga | 2005-09-09 22:22 | 一日一言 | Comments(4)
Commented by ainekun at 2005-09-10 23:02
fastさん、こんばんは〜♪
とても興味深く読ませていただきました。
思考のメビウスの輪。。。。。
はまっちゃいますよね^^

でもね、怖さについては、
私の場合、逆なんですよ。まったく^^
以前は、まったく怖いって思ったことなかったんですけど
(安心できる相方がいてくれたせいかなあ、その頃は!?)
ここ数年は、怖いなと思うこと、とても増えました。
時々、引きずり込まれるような怖さにさいなまされます。
でも、そういうとき、じっとじっと
その嵐が過ぎていくのを待つことがちょびっとだけ
できるようになってきました。
これを上手くやり過ごせれば、
fastさんみたく、
怖さを感じなくなれるのかなあ〜なんて
感じました。
Commented by caosoi at 2005-09-11 00:11 x
今日大阪、淀屋橋の駅で。坊主頭のオバサンが、髪を切っていた。
自分でね。裁ちバサミでね。普通にね。自分が鶴瓶ちゃんなら
間違いなく声をかけたのにっ。気になること多すぎやで。

みんな、目に入らないのかのごとくサッサと歩いて行く。そんな風景を
横目に見ながら 何も怖くないかも・・・て思ったな。うまく言えませんが。
私は思考のメビウスの輪にはまることが、ほぼないタチで。
怖いと感じることは、生きてりゃあるわな くらいのもんで。
そんなとこがイヤというか、fastさんのブログ読んでて不安に陥る要素でもあるけれど。それも、ふっ飛ぶ出会いやったな~あのオバサン。






Commented by fastfoward.koga at 2005-09-11 10:20
ainekunさん、「引きずり込まれるような怖さ」は怖いですね~。
そういうときは、じっと待ってやり過ごします、わたしも。
わたしが最近感じる怖さは、自分のことではなく他人のことに関することなんですよね。
いうなれば、世の中についてですかね。
でも、怖さはたまに感じていたほうがいいもののような気がします。
Commented by fastfoward.koga at 2005-09-11 10:23
caosoiさん、すごいオバサンやねえ。
大阪って、京都よりすごい人多いよね。関係ないけど。

この日は、スポッと思考の穴にはまりましたわ。
最近はたいがいこういうことを考えるのは、飲んでるかローテンションのときだったのに、普通に帰りの電車ではまりました。
こういうこともできるようになったか、なんて自分では感慨深げでした。