言霊の幸わう国

十人十色

 旅には目的がある。
 が、あるようでないこともある。
 今回松本と安曇野を旅して、目的も期待もなかった意外なところで意外な言葉に出会った。

 旅の中で一番お天気のよかった3日目。
 レンタサイクルで松本市内を散策し、旧開智学校にふらりと立ち寄った。
 そこは重要文化財に指定されている、明治に開校された日本でも最も古い小学校のひとつとされる建物だ。
 和風と洋風の混じった「擬洋風」と呼ばれる建築で作られた校舎には、明治・大正、そして昭和を過ごしてきた机や教科書などが展示されていた。
 展示物やその説明はもともと学校だったところらしく、わかりやすく清々しさの感じるものでわたしにはとても好ましく映った。

 想像以上に楽しんで展示物を触ったり見たりしていると、ある言葉に目がとまった。
 それは、学校創設のころから現代にいたるまでの教科書の移り変わりを展示した部屋にあった説明文だった。

 教科書というものには、どんな教科のどんな書き方をされたものにでも、教えを説くためのひとつの筋がある。
 それにそって、こどもたちはものごとを学んでゆくのだけれど、その説明文には思わずあっ! と気づかされた。

「画一的な教育を目指して作られた教科書は、十人十色に彩られていくフシギな書籍でもあります。」 

 確かに、同じ教育を受けても、受け止め方は人それぞれ違う。
 だからこそ誰かと一緒にいることを求め合うのだとわかってはいたけれど、教科書という書籍を通してそんなことを考えたことは、わたしは今までに一度もなかった。

 本来、教育というものはそういうものでなくてはならないと思う。
 同じことを投げかけても、同じ答えは返ってこない。それでいいはず。
 旅先で、目からウロコが落ちた。
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by fastfoward.koga | 2005-10-13 23:08 | 一日一言