言霊の幸わう国

新しいなにかへの入口

 昨日(今日?)は午前さまで、昼ごろにやっと起きだした。
 牛乳を飲み、そのあと新聞にざっとだけれど目を通した。
 わたしはうちにいるときは、何時に起きても新聞を広げる。
 二日酔いで、あの小さな字で酔いそうになることもある。
 でも、新聞を手にせずにはいられない。

 小学生のころから、テレビ欄を見るために学校に行く前に新聞を読み出した(そのときのくせが抜けないので、恥ずかしながら今でも初めに見るのはテレビ欄から)。
 そのうち三面記事とマンガを読むようになり、年齢とともに読む紙面が増えてきた。

 でも、高校生のころ、なぜか新聞の記事がうまく頭に入ってこず、ナナメ読みしていた時期があった。
 そんなときに、選択の国語表現の授業で、いくつかの新聞記事を渡されそれについての小論文を書くように言われた。
 記事の内容は、その数日間に話題になった出来事で、わたしが読みかけてやめたり、また今度読めばいいと思っていたものばかりだった。

 そのとき書いたものの評価がどうされたかは、もう覚えていない。
 でも、書いた自分の文章が気に入らなかったことはよく覚えている。
 わたしはうまい文章や説得力のある文章が書けなかったことが、納得できなかったのではない。
 その記事を読んですぐに意見を求められて、自分なりの答えを出すことができなかったことが納得できなかったのだ。

 それからは、新聞を読んで感じたこと、思ったことをちゃんと引き出しにしまうようにしている。
 一度読んだだけでは引き出しにしまうことができなかったときは、そのもやもやを解消できるようにくり返し読むようにもしている。
 感想をもてない記事も、中にはある。
 なにか自分なりの考えを形にしておきたいと思っても寝起きの頭ではできなかったときは、せめて人の意見を聞けるようにと、やっぱり引き出しにしまう。

 新聞だけではないけれど、自分の考えや意見を生むきっかけをくれるものは貴重だ。
 情報は溢れているようで、世の中キャッチできるものは案外少ない。
 毎日の中で、新しいものに触れるささやかな入口。
 当たり前になって、ありがたみを忘れないようにしなくては。
 なぜか今日、ふとそんなことを思った。
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by fastfoward.koga | 2005-10-23 21:18 | 一日一言