言霊の幸わう国

時間どろぼう

 誕生日や新年を迎えるころになると、いつも1年を振り返る。
 あんなことがあった、こんなことがあった。
 
 そして、1年という時間が過ぎるのはあっという間だと口にする。
 その感覚は、年々加速度を増してゆく。
 今はまるでジェットコースターに乗っているようだ。

 そんな感覚を思い出すたびに、わたしには思い出す小説の1節がある。

「十歳の僕の一年は、人生の十分の一なのだけれど、十一歳の僕の一年は十一分の一だ。そしてもちろん九歳の僕の一年は九分の一だったはずだ。そんなふうにして人は、一年の長さをどんどん短くしていく。時の流れが年々早く感じられるのはそのためで、誰もがそうで、それはどうしようもないもの。」
                                狗飼恭子著 「冷蔵庫を壊す」

 年齢を積み重ねるだけ、感覚の分母は増えてゆく一方。
 年々損をしているような気がしないでもない。
 でも。小学生のころは、6年もここに通うのかと考えたときに気が遠くなる思いがした。
 今は6年前を振り返っても、そう遠い気はしない。
 そんなことを比べると、分母が増えることなんてたいしたことはない。

 感覚は、事実とは異なる。
 感覚は、あくまでも自分自身が感じるものだ。
 ついついそれを事実と混同してしまう。

 誰にでも、時間は平等。
 だまされちゃいけない。

 最近、いろんなところでミヒャエル・エンデの「モモ」の名を見かける。
 これは、読めという誰かのお告げか?
 10数年ぶりに、開いてみるか。
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by fastfoward.koga | 2005-12-03 23:05 | 一日一言 | Comments(0)