言霊の幸わう国

雨と小説と365分の1日

 帰りの電車の中から、ずっと昨日と今日降った雨の描写について考えた。
 この雨は、わたしが今までに出会った雨とは違っている気がした。
 一体なにが違うのか?
 それをずっと考えていた。

 昨日、書いたようになんども頭と心のフィルターでろ過してみた。
 でもいつもみたいにしっくりくる言葉に変換されない。
 駅から原付を走らせながら、少し視線を外に向けて、周りの景色にピントを合わせてみた。

 そうやっていると、なんとなくしっぽを掴まえることができたような気がした。

 この2日間、うまく雨を切り抜けたせいか雨が降ったという実感がなかった。
 雨音に耳を澄ますこともなかったし、落ちてくる雨の質感も捉えることがなかった。
 そう。
 今回の雨は、ただ世界のすべてを濡らしたという事実しか、わたしには与えなかったのだ。

 そんな微妙な雨の日に、雨の降る小説を読んだ。

「喫茶店は混みあっていて、そこには今度こそ本物の雨の匂いがした。ウェイトレスのブラウスにも、コーヒーにも雨の匂いがした」                         
                            村上 春樹 『1973年のピンボール』

 空いた電車で、その一文から目を離し見えた景色が忘れられない。

 そんな1日の終わり、数分間、遠くにいった彼のことを考えた。
 たった2分。
 今のわたしにはそんな時間しかちゃんと向き合うことができなかったけれど、忘れたりはしない。
 365分の1日がしっかりと手応えを残して、日付が変わった。
 さあ、明日は旅に出よう。
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by fastfoward.koga | 2006-02-17 00:37 | 一日一言