言霊の幸わう国

誰かのモモ わたしのモモ

 今、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでいる。
 高校を卒業するくらいに読んで以来なので、この本を開くのは14年ぶりになる。
 初めは、こんな話だっけ? と思いながら読んでいた。
 あのころは有名な物語がどんなものなのか、とりあえず知っておかなくてはというきもちで本を手にしたので、実はストーリーの詳細はあまり記憶に残っていなかったのだ。

 でも、読み進めてゆくうちに思った。
 あぁ、わたしもモモのようになりたいな、と。

「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません。あいての話を聞くことでした。」

 みんなが、「モモのところに行ってごらん!」という理由。
 ただ、相手の話を聞くこと。
 聞くだけで、聞いてもらった人は自分の中にある答えに気づく。
 それって、すごいとうらやましくなった。わたしも誰かのそんな存在になりたいと思った。
 でも、今はそのきもちが薄らいでいる。

 ここ数日の間に、少しきもちを揺さぶられるようなことが起こった。
 まだ具体的なことはなにも決まっていないけれど、変化という波が確実に自分に押し寄せてきていることは間違いない、ということがわかったのだ。
 ただそれだけなのに、妙にきもちが心細くなった。

 今までの自分なら、そういうときは心細さが静かに消えてなくなるまでじっとしていた。
 こんな曖昧で中途半端なきもちは誰かに伝えても、伝えられた相手が困るんじゃないかと思ってなかなか言い出せなかった。
 でも、今回は言葉にしてみた。
 その心細さに1番きもちを添わせてほしいと思った人に、話してみた。

 その人は、そうかそうかと聞いてくれた。
 そして、笑わせてくれた。

 それがただうれしかった。

 誰かのなにかになりたいと思うきもち。
 それも確かに大切だと思う。
 わたしは今まで、そういうことばかりを考えていた。
 でも、同じきもちを誰かに求めてもいいんじゃないかと最近思うようになった。

 わたしも、ただ話を聞いてくれる人がほしい。
 
 よく考えれば、みんないつだってわたしの言葉に耳を傾けてくれていた。
 わたしはそのきもちに遠慮してしまい、どうしても凭れかかることができなかった。
 それは、相手に問題があったということではなく、単にわたしが弱かっただけ。わたしの問題だったのだ。

 もっともっと肩の力を抜いて、探してみたい。
 誰かのモモになれるかどうか、そして、わたしのモモが誰で、どのくらいいるのか。
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by fastfoward.koga | 2006-05-19 00:25 | 一日一言