言霊の幸わう国

手紙ノススメ

 先日、ハハと「えんぴつで奥の細道」の話をしていた。
 なぞるのも結構大変やねんで~、なんて話から、お習字やペン字を習おうか、なんてことをお互いに言っていた。

 そのとき、ふとハハが「そういえば」と話し始めた。
 これは、何度もくり返し聴いている話である。

「小学校のときに××(兄の名前)が、担任の先生に字が汚いと言われて帰ってきたことがあって、わたし、先生に言うたわ。『決してきれいな字ではないけど、あの子は一生懸命に書いてるんです。そのことを認めてやってください』って。」

 わたしも字は決して、美しいとは言えない。
 でも読みやすいとはよく言われる。
 それは、きっと読む人がいることを想定して書いているからかなと思った。

 字には性格が表れると言われるけれど、わたしは性格云々よりはその人のなにか人やものに対したときの姿勢が表れるんじゃないかと思う。
 だから、直筆の手紙は書かれていることとは別に、もらったことで喜ぶことができるのだ。

 相手が自分のことを頭に思い浮かべながら書いたもの。
 便箋やハガキに向かっているときは、少なくとも相手の中には自分がいたということ。
 そういう状況の中に生まれた言葉が、文字としてその人の手から生まれる。
 手紙に込められたなにかは、送る側よりも、もらう側のほうがより強く感じているような気がする。

 残念ながら、わたしはすきな人から手紙やハガキをもらったことはない。
 でも、わたしがちびちび手紙やハガキを送りつけるからか、男の子でもたまに返事をくれる。

 そのうちひとりは、きっと普段は手紙なんて書かない人だと思う。
 宛名がなぜか、エアメイル形式で書かれていた。
 便箋の最後には「ロンドン・ヒースロー空港にて」と書かれていたけれど、思いっきり泉佐野の消印が押されていた。
 爆笑した。

 もうひとりは、手紙を書くと必ず手紙で返事をくれた。
 旅先の写真と短くて強い言葉が書かれていて、会って話すのとはまた違った一面を見せてくれるので、いつも楽しみながら読んでいた。

 手紙は、字の美しさや内容のおもしろさで、もらった相手の喜びが測られるものではないと思う。
 ほんま、毎日毎日しつこいくらいに手紙のことばかり書いてますが、手紙を書く、そう考えて頭に思い浮かべる人がいるなら、書いてみましょう。
 ぜひぜひ。
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by fastfoward.koga | 2006-06-09 12:30 | 一日一言