言霊の幸わう国

漂いながら旅に出る

 村上春樹の「遠い太鼓」を読み終えた。
 読むこと、14日間。その間は、浮気せずにただひたすらこの1冊を読んでいた。おかげで、読むペースが一気に落ちた。

 村上春樹の作品の中でも、手を出すにはためらいがあった。
 人が旅した話を淡々と読めるのか、というのがブレーキの要因だった。
 しかも行ったことのない、想像しがたいヨーロッパ。だから難しいと思っていた。
 でも読んでみようと決めて、本屋では迷わずレジに持っていった。
 そう、村上春樹が書いたのだ。だったら、読めるだろうとなぜか急に思えたのだ。

 読み始めたら、永遠にこの本は続くような気がした。
 わたしが「永遠に世界から離れるときに持っていく八つ」に書いた小説のようだった。
 それもおもしろいかもというきもちと、終わらせて他の本を読みたいというきもちが胸の中でせめぎあった。
 それを2週間続けていたので、正直疲れた。
 でも読み終えたら、終わったのかとさみしくなって数回ページをめくりなおした。名残惜しさがふつふつと生まれてきた。

 今日はもう別の本に手をつけているのに、なにげなく見上げた電車の天井を見「遠い太鼓」を思い出した。
 なんだか今のわたしの毎日は、旅をしているようだなと。

 旅をする。
 というのは、どういうことなのか?
 心静かに考えると、イメージしたのは漂う姿だった。

 漂う毎日。
 今のわたしの毎日だ。
 あっちへふらふら、こっちへふらふら。
 漂って、流されて、揺さぶられて、自分のきもちも居場所も定まらない。

 こんなわたしがほんとうに旅に出たら、どうなるのか?
 誰かと一緒に行きたかった。でも、ひとりでないと意味がないような気がした。
 今の自分の目に映るものを、誰のフィルターも通さず見てみたいと思ったのだ。

 週末、短い旅に出る。
 きもちはもう決まっている。
 でも。おいおい、こんなにバタバタしていて一体いつ支度をするのだ?
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by fastfoward.koga | 2006-06-27 22:34 | 一日一言