言霊の幸わう国

ひとめぐり

 『凶器はナイフ』

 ずっと探している答えがある。
 一生かかって、死ぬ間際にやっとわかるのか、振り返ったときに人生の転機と呼ばれる瞬間に実は知っていたことをあとで気づくのか、それともふとしたときにひらめくのか。
 答えのだしかたじゃなく、でかたばかりを考えている。
 どこに行っても考え過ぎだと言われるのには慣れた。でもそういう自分には飽きた。
 どうしてもヒントがほしくてヒントマンに電話してみた。そうしたら彼はこう言った。
「ラフになる。取り返しがつかない、顔から火が出るくらいのことをしてみる」
 そしていくつも例を挙げて、どう? と問いかけてきた。自分にできることはすぐに選び取れた。でも言えなかった。すきだと言えなかった。
 しきりなおしてもう一度電話したところで、結果は同じで、あてる公式がわかっているのに上手く使いこなせない自分が悔しかった。何も産むことができない自分に苛立った。そしていつまでも言わせてくれない彼に嫌悪を感じたとき、それ以上のずるさを自分の中に発見した。
 わたしは人に傷つけられることを望んだ。腐った部分をズブリと刺されて、痛くて痛くてその痛みの分だけ彼のせいにできると思っていた。
 崖っぷちから突き落とされて答えが、自分が、わかるのなら、どうして自ら清水の舞台から飛び降りようとは思わなかったのだろう。
 右手で、刺して刺して刺して刺して、刺せるだけ刺してまた自分に戻れたら、それが彼の言った「ラフ」なんじゃないかと思う。そして望む答えは答えというものではなくて、その過程で感じることなのかもしれない。
 どこまでわたしは自分を刺してゆけるだろう。


 これは、10年近く前に書いたもの。
 ふと思いつき読み返して、相変わらず成長していない自分を思い知った。

 このころは、すきな人に傷つけられるなら鈍器で殴られるよりも、鋭利な刃物で傷つけられたほうがいいと思っていた。
 えぐるような痛みの方が、かえって治りが早いような気がしていたのだ。
 その思いは今も変わっていない。
 そして人に傷つけられるように仕向けて、起こった出来事を人のせいにしてしまおうとすることも、残念ながら変わっていない。

 ここ数週間、途切れ途切れに考えていた。
 わたしは誰かに守られたくて、誰かを守ろうとしていたんだな、って。

 そこにある自分のずるさに気がついたときから、目をそむけてずっとじたばたしていた。
 自分がすごく打算的に思えて、どうしても認めたくなかった。

 でもわたしは聖人君子じゃないし、そんなものになろうとしなくてもいい。
 誰かを求めることは、悪いことじゃない。

 守ろうとすることが先でも、守られたいと思うことが先でも、かまわないのだ。
 どちらの思いも誰かひとりに対して抱くことができたなら、それでいいのだ。

 10年後、同じことで迷って悩んでも、ここに戻ってこられる自分でありたい。
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by fastfoward.koga | 2006-07-23 21:06 | 一日一言