言霊の幸わう国

罪と罰

 胸騒ぎがして、急いでコールバックしたけれどもう届かなかった。
 ただの数字になった電話番号が、携帯の中に残された。
 単なる予感でしかない。
 でも、すごく大切な電話だったような気がした。

 数日前の出来事だ。

 7月の終わりに考えていた自分の犯した罪について。
 ここにも書いたように、わたしは罪を背負うことで罰を受けたことにしたいと思っていた。
 あれから半月。
 その罪に触れると、今でも胸がギュッとなる。
 自分の弱さと引き替えに、わたしはものすごく大切なものを失った。
 そのことは自覚している。
 もう2度と、それに替わる物をわたしは手にできないだろう。

 痛みをどうにかして消したいと思った。
 痛みを消してしまってはいけないとも思った。
 そのふたつの思いに、またがんじがらめになった。

 昨日読み終えた本に、こんなことが書かれていた。

「息が苦しかった。赦す、と、嘘でもいい。誰かにそう言って欲しかった。せめて、それに見合う罰がどんなものなのかを教えて欲しかった。罰とは人を赦すために生まれたのだと思った。仮にそれが死を科するものであったとしても。
 笑ってしまう。自分の命のために犯した罪への赦しを、自分の命を代償にしても私は欲しがっている。
 私は、卑怯者だ。」

                          本田 孝好 『眠りのための暖かな場所』  

 罰が人を赦すためのものだとしたら。
 わたしはやっぱり罰を受けたくない。

 犯した罪は、すっかりわたしの体の一部になった。
 それは傷が癒されてゆくのとは違う。
 ただわたしは、罪の重みから逃げるのをやめたのだ。
 痛みから逃れようとすることをやめたのだ。

 わたしは一生後悔しながら、この罪とともに生きてゆく。
 罪とだけ。罰はいらない。
 どうせこの手から離してしまったのだ。
 赦されようと、わたしのことを忘れられようと、なんだって同じだ。
 そこにはもうないのも同然。
 だから、後悔はめいいっぱいするのだ。
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by fastfoward.koga | 2006-08-17 22:56 | 一日一言