言霊の幸わう国

101の選択肢

 ひとりで「ナイロビの蜂」を見に行った。
 途中から少し前傾姿勢になってスクリーンを見つめた。
 ストーリーがテンポよく動き出したころ、ふと思いついた。

 手にあったものをなくしてしまうのと、あったものを無駄だったと思うのではどちらが悲しいのだろうと。

 そんな疑問が思い浮かんだあと、しばらくしてふっと笑った。

 いつもわたしの考えには二択しかない。
 0か100か。
 最近、そんなことを言ったばかりだった。

 映画を見る前から、飲みに行きたいなとともだちの顔を思い出していた。
 前もこの映画館に来たときにそう思った。
 不思議。
 場内が暗くなる前にメールしようかと思ったけれど、映画の内容次第で気が変わるかもしれないと携帯をカバンにしまった。
 
 映画の途中、やっぱりともだちのことを思い出して飲みに誘うかどうかを頭のはしっこで考えた。
 そこでも二択。
 そのあと、また笑った。
 断られるという選択肢もあるなと。

 映画が終わってエンディングロールが流れて、ロビーに出てからすぐにやっぱりメールをした。
 断られるという選択肢をすわって待っていたら、電話がかかってきた。
 今どこにいてなにをしていたのか聞かれたからやっぱり断られるのかと思ったら、いいよと言われた。
 ありがとうと電話を切って、地下鉄の駅に向かった。

 わたしの見える世界はまだまだ狭い。
 メールの返事を待っているとき、そう思った。
 0か100か。
 ほんとうはその幅なら、選択肢は101あるはずなのだ。
 でもわたしの頭の中にはふたつしか載せられない天秤があるだけ。

 欲が多すぎるから、天秤に載せるためにいつも意識的に二択まで絞り込むことがくせになっていた。
 しばらく天秤にはお休みしてもらうことにしよう。
 ここのところちょっと切り詰めすぎたのだ。それくらい許されるだろう。
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by fastfoward.koga | 2006-08-26 00:32 | 一日一言