言霊の幸わう国

サーキュレイション

 最近、堂々めぐりな話にひゅっと心がひっかかる。
 昨日の「わけもなく」につづき、今日もひとつご紹介。

 先日、中の島の国立国際美術館でいくつかの作品を見て強烈に惹かれた伊藤存。
 彼の「刺繍美術家・伊藤存の作品集的刺繍入門書」に書かれていた「ベアー イン ア・サーテイン プレイス」というタイトルがついた熊についての文章。

「事実、人は山奥で熊のにおいを嗅ぐと、どんなに音痴であっても大声で歌いだすし、新鮮な足跡を見つけると、笛と鈴を同時に鳴らすしで、尋常ではない。その姿よりも、わずかな痕跡において熊は異様な影響力を持っている。スイス人はその国に住む熊を恐ろしさの余り絶滅させたという。しかし、こうなると、もはや人のほうが恐ろしい。このように、熊はその影響力により、時に自らの運命にも影響を与えてしまうことがある。」

 二者択一人生を送ってきたわたしには、どこまでもめぐりつづけることが今おもしろくて仕方ない。
 今まで、終わることとそのあとつづく始まりにただひたすら思いを注いできた。
 でもほんとうは、始まりとその終わりとそれにつづく始まりと終わりとそれにまたつづく始まりと・・・、というサイクルがあるべき流れなんじゃないかと思った。
 ふと、今さらながら。

 そうなると実のところ、始まりはあったとしても、生きているうちは終わりはないのかもしれない。
 さらにそうだとすると、「わけ」も「なに」もなくても進むしかない。
 ただ流れに沿って。

 なんて、ばかばかしいことを考えてしまった。
 うん、でもこのばかばかしい堂々めぐりがいいのだ。
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by fastfoward.koga | 2006-08-30 22:48 | 一日一言