言霊の幸わう国

17歳のわたしへ

 後悔しないように、という言葉をもっともらしいと思って聞くようになったのは、いったいいくつのときからだろう。
 一生懸命思い出して、たぶん10代後半だろうか。
 それくらいにはもうすでにそんな言葉を聞いて、ふむふむと噛みしめていたように思う。
 でもそれが20代のなかばあたりから、後悔しない人生なんてないということに気づいた。
 そのときから、それじゃあ最大限後悔しないような選択をしようと思うようになった。
 これまたよく聞く、「やらないで後悔するなら、やって後悔しよう」だ。

 それが今、33になって思う。
 やらないで後悔するよりもそれ以上にやって後悔することがある、と。

 この間の日曜日の読売新聞に載っていた「本のソムリエ」。
 そこで17歳の女の子が、大人になるにつれて純粋な感性や素直さを失っていくようであせるから、歳をとることへの不安がなくなる本を紹介してほしいと書いていた。
 それに対して書かれていた答えに、寝起きで少しぼんやりしていた頭が惹きつけられた。
 書き始めはこうだ。
「純粋、素直であることはそんなに素晴らしいかしら」。
 そして、川上弘美の「古道具中野商店」が紹介されていた。

 昨日、その本を買ってきて、今朝読み終えた。
 物語の中には、不倫や性欲やうまく自分の思いを伝えきれないまだ幼い恋について書かれていた。
 17歳の女の子が読んだら世の中ってこんなものなのかと思うのかもしれないが、その倍くらいの年齢のわたしにはそんなこともあるだろうと思うようなこと。

 33年間でいろんなものを見てきた。
 たぶんこれからももっといろんなものを見るだろう。
 でも今の時点で言えるのは、人が死ぬまで純粋無垢でいられるわけがないということ。
 そして、必ず失敗があり、後悔があり、それに対抗しようと見えない凶器を持っていないといけないんじゃないかなと思う。
 ・・・ようになった。

 前にも書いた罪と罰について。
 毎日のように、思い返す。
 記憶の抽斗を開けない日はない。
 そうして、うっと思わず顔をしかめることも多い。
 なんであのときあそこでこうしなかったのだろう、といつも思う。

 それは、やらないで後悔するなら、やって後悔する、を実行していたらよかったことなのか。
 わたしは、そうは思わない。
 今のわたしの後悔は、そのもうひとつ先にある後悔だったような気がするからだ。
 やるやらないの選択の間違いよりも、選んだあとの自分の腹のくくり方が弱かったことが今の後悔の要因のような気がしてきた。
 それもついさっきなのだけれど。

 わたしはそのときの罪を背負って、一生後悔することを望んだ。
 今、その望みどおりに日々後悔のしどおしだ。
 でも、後悔で嫌なきもちになるばかりじゃない。望みどおりになったことに納得する自分がいる。

 17歳のわたしには、きっとこんなわたしは理解できない。
 33歳になったときこんな自分だとわかっていたら、そこに辿りつくまでのどこかで抵抗しているに違いない。
 でも。
 と、思う。
 満点じゃないのはわかっているけれど、そういうのも悪くないよと。
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by fastfoward.koga | 2006-09-19 23:57 | 一日一言