言霊の幸わう国

原風景

 9月に、新潟市内をひとりでぶらぶら歩いているときに「月刊 まちの日々」というフリーペーパーを見つけた。
 確か、小さく折りたたまれたそれを砂丘館(旧日本銀行支店長役宅)で手にしたと思う。
 縁側に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、少し読んで、そのまま大切にカバンにしまって京都まで帰ってきた。

 たいていなら、1度読んだら地元の情報ばかりかかれているものは途中で捨ててしまう。
 でもその中に書かれていた大倉宏の「旅に入る」が気に入り、これまでも何度か読み返している。

 誰にでも、うちへ帰るときに目にする慣れ親しんだ景色というものがあると思う。

 わたしなら。
 川沿いの道の街灯のオレンジのあかりとか。
 新幹線から近鉄への改札口の混雑とか。
 京都タワーの姿とか。
 名神高速の右レーン、左レーンの案内板とか。
 最寄り駅に近づくと見えるパチンコ店の看板と銭湯の煙突とか。

「坂を下る」というタイトルがつけられたその文章の中には、東京から故郷新潟へ車で帰る著者の見た景色が綴られていた。
 いや、綴るというより、描かれていた、に近いかもしれない。

 上り坂から、長い下り坂へと変化する高速道路の描写。
 そのあとにつづく、新潟へ川が集結するいう話。
 そこに、「帰る」という行為の後ろにある、著者のさりげないけど大きい思いを感じた。

 読んでいて、うらやましくなった。
 車を運転して、同じ景色を眺めて、同じことを感じたいと思った。
 いいな、いいな、と心の中で地団駄を踏んだ。
 できるなら、綴られた言葉の中からそのまますべてを奪いたいと思った。

 でも、できるわけがない。
 その原風景はわたしのものではない。
 どうやったって、これからどんなにがんばったって、手にはできないものなのだ。

 人のものをほしがっても、仕方ない。
 だったら、せめて同じ景色を見て違うことを感じる自分を体験したい。

 やっぱり、旅がわたしを呼んでいる。
 呼ばれたら、行かねばならぬ。
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by fastfoward.koga | 2006-12-27 20:58 | 一日一言