言霊の幸わう国

10ヵ月熟成茶碗

 昨年の夏、佐賀の有田へ器を見に行った。
 特に磁器に興味があったわけではなかったけれど、ふいに行ってみようと思い立った。
 きっかけは、ずっと以前に雑誌で特集された記事をスクラップしていたことを思い出したからだ。
 いつか行きたいな、でもそのいつかは一体いつなんだろうな、というくらいの軽さでしか考えていなかったので、我ながら驚きの選択だった。

 有田ではコーヒーカップや、トレイ、それにお茶碗と湯飲みを購入した。
 コーヒーカップとトレイは、すぐに包みをほどいて帰ってすぐ使い始めた。
 でもお茶碗と湯飲みは、ずっとクローゼットの中にしまいこんでいた。

 何度も、使おうかどうしようか悩んでいた。
 買ったときに願をかけていたこと。その結果が出たら、どうしても使う気になれなかった。
 有田へではお茶碗と湯飲みを買おうと心に決めて向かったのに、結局は1番最後までおろすことができなかった。

 誰か、ひとり暮らしのともだちにでもあげてしまおうかと考えた。
 でもこんな曰くつきのものをあげてももらうほうも困るだろうし、あげる自分自身も嫌なことを押し付けるようできもちのいいものではないななどと逡巡していた。
 そうして10ヵ月がたった。

 先日、夕飯を食べていたときにいつもの自分のお茶碗をもったときに底の部分が欠けているのに気がついた。
 そこでやっと、あのお茶碗の出番が来たなと思えた。

 器は、使ってこその価値だ。
 ましてや使うつもりで買ったものなら、使わなければ意味がない。
 少し時間がかかったけれど、明日から新しいお茶碗と湯飲みで食事をしよう。

 そう、使い始めは明日がちょうどいい。
 きっとおいしいご飯が食べられるはずだ。
[PR]
by fastfoward.koga | 2007-05-16 23:52 | 一日一言