言霊の幸わう国

ありえへん

 2週間前の旅の出来事を反芻している。
 自分に何かを残せた旅は、いつもそうなのだ。

 3日前のこの時間には新幹線に乗っていた。
 この時間は、あの通りを走っていた。
 ちょうど1週間前に、あの宿にいた。
 あの場所を離れてからもう10日も経つのだ。

 そんなことを、何度も何度も考える。

 雪のない苗場のスキー場。
 鋭角の屋根が特徴的なドライブイン。
 足の裏が冷えてしょうがない不思議な古民家。
 宿の熱い温泉。
 軽井沢の人ごみ。
 机がわりにしてハガキを書いたポスト。
 水の濃い緑色。
 誰もいないローカル線の小さな駅のホーム。

 そんなことを、くり返し思い出す。

 わたしは今まで人以外のなにかになるのなら、水に住むなにかになりたいと思っていた。
 空よりも水。
 苦しいときに空をよく見上げるけれど、そこへゆきたいと思ったことはなかった。
 所詮、わたしは足を地べたに着けて生きてゆくのだと思っていたから。

 でも旅の出来事を思い出すうちに、不思議なことを考えた。

 旅も終わりに近づいたころ、人の手から離れた建物に足を踏み入れた。
 時間が止まったわけではない。
 でも、さっきまで自分がいた場所とは確実に違う時間が流れているところ。
 そういう場所に初めて足を踏み入れた。

 歩くたびに、足元では散らばったなにかがパキパキと音を立てた。
 白い壁は触れなくても、ざらっとしているのがわかった。

 扉のない入口をくぐる。
 足元を見て、壁を見て、自然に目線が上がった。
 すっと吸い寄せられるように、天井を見つめた。

 一緒にいた旅の友はその場所を「美しい」という言葉で表現した。
 わたしはその表現がそのときピンとこなくて、曖昧に頷いていた。
 でも今は、そうだなと共感できる。
 そう美しいからこそ、導かれるように視線が上を向いたのだ。

 建物の中には、10メートルほどの高さの空間があった。
 わたしはそれを黙って上から眺めた。

 ぽっかりあいた空間。
 小雨が、そばを走る車の音を消してしまうかのように思えた。
 ひんやりとして、静かだった。

 今思うとその空間は、昇ったことはないけれど飛び込み台から見たプールに近いのかもしれない。
 でも、そこには水はない。
 あるのは硬いコンクリートだけ。
 それでもわたしは、そこを飛び降りてみたいと思った。

 その思いは、旅の時間と出来事を思い出すたびに増している。
 何度でも何度でも、わたしは覗き込んだあの空間と高さを頭の中に思い描いている。
 そろそろ思い描きすぎて、事実を歪曲し始めるかもしれない。

 もう1度あの場所へ行くことができたら、軽くステップを踏むように飛び降りそうな気がする。
 と考えつつも、飛び降りたあとのこともちゃんと理解ができるくらいわたしは冷静だ。
 だから不思議なことを続けて考えた。
 翼がほしいと。

 飛び降りても、膝にも足の裏にも衝撃のこないように重力をふわっとやわらげてくれる翼。
 空を飛びたいなんて無茶なことは考えたりしないから、せめて高いところからうまく飛び降りれるくらいの大きさでいい。
 それが背中にあったら、わたしは旅先で巡り会った空間と高さをもろともせずに楽しめると思う。

 そんな空想。
 ありえへん。

 でも、ずっと考えていた。
 ありえへんとわたしが思うということは、そこにわたしが思う基準があるということだ。
 ということは、初めて翼がほしいと思ったことは、それがたとえありえへんことでも、ゼロからなにかが生まれたということなのだ。

 ありえへんと思うこと、考えること。それはどんなことも自分を小さくしていると、初めは思った。
 でも、そうとは言い切れない。
 ありえへんと言いながら、わたしは自分の居場所を確認している。

 現在地がわかるということは、わたしにとってまた旅に出られるということなのだ。
[PR]
by fastfoward.koga | 2007-06-02 21:07 | 一日一言