言霊の幸わう国

朝の悦び

 朝は、誰にとっても清々しいわけではない。

 目覚めて、一晩で癒しきれなかった傷が疼くほうが眠れない夜を過ごすよりもつらいと感じたこともある。
 起き抜けにすぐに頭に浮かんだのが、あぁ今日は特別なことがない、ただの1日だとがっかりしたこともある。

 数日ほど前、朝起きてからふと、今日はそんな朝じゃないよなとひやりとしたことがあった。

 だからだろう、今日買った雑誌「西の旅」に書かれていたエッセイを食い入るように読んだ。
 精神科医のきたやまおさむが書いた、2ページの短いエッセイ。
 大きな文字で「世界が私を置いてゆく朝。」と書かれていた。

「年をとると、朝目覚めても社会からの『宿題』は待っていないという状況が多くなる。悩ましく思う人も多いようだ。」
「(前略)定年を迎えると役割が少なくなる。世界があなたを必要としていないとき、世界がまだ何もしなくていいという時間に、ものを作ろう。」

 そのエッセイに書かれているほど、わたしは歳をとっていない。
 でも、33歳でもふいに立ち止まる朝がある。

 12年前、まだ22歳のころ。
 同じように朝がつらくて仕方なかったことがあった。
 そのころ、わたしは自分の中にあるものをうまく外に出すことができなくて、鬱々としていた。
 ささいなことに落ち込んで、ささいなことに悩んだ。

 そんなことをぽつぽつとある人に話したら、その人はこう言った。

「明日の朝ゴハンの心配をして寝ろ。」

 要は、楽しみがあったら朝もきもちよく起きられるだろうということを言いたかったらしい。
 今朝新聞の書評を読んでいたら、急にそのことを思い出した。
 そのとき確かわたしは、朝ゴハンよりも新聞を楽しみにすると答えたはずなのだ。

 これからもたぶん、朝目が覚めた瞬間にまだ眠っていたいと頑なに思うこともあるだろう。
 夜に戻ればいいのにと、駄々をこねたりもするだろう。
 でも、少しでもため息よりは深呼吸できる朝が多く来ればいいと、思う。 
[PR]
by fastfoward.koga | 2007-06-10 22:03 | 一日一言 | Comments(0)