言霊の幸わう国

見栄の洗濯

 わたしは、自分を人見知りだとは思わない。
 でも、つまらない見栄をはっている間はまだ相手との隔たりはあるなと感じる。

 今日も、またどうでもいい見栄をはってしまった。
 地下鉄を待ちながら、そのつまらなさに葛藤した。
 葛藤しながらどんどん横道にそれ、ドツボに片足ががっつりはまった。
 馬鹿馬鹿しい、でも馬鹿馬鹿しくない。
 二層式の洗濯機の中でいくつもの洋服がからまるように、ぐるぐると思考が渦を巻いてこんがらがった。

 書くことについて、考えた。
 ブログを初めて1年目は、ただ書くことができる、そのことが楽しくて仕方なかった。
 2年目は、書くことでしか救えない思いがたくさんあった。
 そして今年はというと、書くことに迷いが生じ始めた。

 なにが、1年目、2年目と違っているのか。
 1番違っているのは、書くことに制限をつけていることだ。

 読む人との距離が変化してきたこと。
 書く内容と使う言葉に対するマンネリ感。
 そして、正直に書くことが正しいのかどうかの、迷い。
 そういうことが、書くことへのブレーキになってキーボードを打つ手を止めてしまい、手を止めることが言葉が湧き出ることをも止めてしまう。

 3年目に入って、思ったことをなんでも書き記すことがいいとは思えなくなってきた。
 ものごとを難しく考えてこねくり回すのはわたしの悪い癖だけれど、これも書くことを継続する中で出てくる当たり前の壁なんじゃないのかと、自分では思う。
 きっと、いつか霧がさっと晴れるようにこの迷いも消えてなくなる瞬間がやってくるのだ。

 馬鹿馬鹿しい見栄の渦にあっぷあっぷしながらも、脱水されたあとの洗濯層の中に答えをひとつ見つけた。

 ブログを初めたころに、書くことに嘘はない、とここに記したことがあった。
 それと同じく、書いたものの中に見栄を入り込ませてはならない。
 迷いながら書いたとしても、それは絶対。
 そこだけは、なにがなんでもぶれないように。 
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by fastfoward.koga | 2007-09-18 22:58 | 一日一言