言霊の幸わう国

待ちわびて

 時刻は、午前十一時。円山公園の東部公園管理事務所近くの桜の木の下で、わたしはブルーシートの上に座っていた。軽く十人は座れるシートの真ん中にひとり、上体を折り曲げ、毛布をひざに掛け雑誌をめくっていた。
 数年に一度巡ってくる、副幹事という名の花見の場所取り。幹事のゲンさんから集合がかかり、今日は高校の同級生七人が集い、夜更けまでこの桜の下で飲んで食べて騒ぐのだ。
 
 わたしはすでに、ここに来る途中で買った雑誌にひと通り目を通し、いくつもの鮮やかなページへの興味を失ってしまっていた。同じ姿勢で雑誌を読んでいたせいで足も腰も首も固まってしまい、ゆっくり解きほぐすようにうーんと伸びをした。そのまま続けて欠伸をすると、頭上に誇らしげに咲く桜と薄曇の空が見えた。
 それにしても、ここは寒い。予報では日中の最高気温は十九度で例年よりも暖かいと思ったのだけれど、時折差す陽射しも木々で遮られほとんど陽射しを受けることもなく、二の腕あたりにかすかな寒けを感じていた。まだ一時間ほどしか座っていないのに、ブルシートを通して地面の冷たさも伝わり始め、わたしは掛けていた毛布をお尻の下に差し込んだものの、あと一時間トイレを我慢できるかどうか不安になっていた。
 毛布を広げ直しその上に長座になって周囲を見渡すと、自分と同じように場所取りの役を仰せつかった人たちが、それぞれの場所で思い思いに過ごしていた。寒くなかったら昼寝でもしたいところだと思っていると、トートバックからはみ出していた携帯電話がブルブルッと震えた。液晶画面には、サジという名が青い文字で光っていた。
「たのやん? 副幹事、ご苦労さん。昼休過ぎに一回そっち行けそうやけど、なんかいるもんある?」
「本、買ってきてー。四五時間で読めそうなミステリー。」
「最近なに読んだ?」
「全然読んでない。やし、新刊ならかぶる心配ない。」
「わかった。じゃ、あとで持ってく。」
 電話が切れてから気づいた。今日のサジの電話の後ろは珍しく静かだった。営業の外回りや接待で騒がしいところにいるというのはイメージなのか、いつも彼との電話は声を張り上げるか空いている片耳を押さえるかをしている気がする。サジは高校時代から豪快で朗らかでよく笑い、自然と周囲に人が集まるのは今も変わりなく、騒音さえも呼び寄せる大らかなオーラのようなものをわたしは今も感じていた。
 それでも電話が切れたあとは急に静けさに取り囲まれたようで、鳥のさえずる音がやけに耳についた。そのまま目を瞑ると、聴覚だけでなく嗅覚も研ぎ澄まされるのか、風に乗って漂ってきた香ばしいソースの匂いに鼻がぴくぴくと反応した。

 お腹空いた。そう小さく声に出して呟くと、返事をするように携帯がまた振動した。今度はさっきよりも間隔の開いたバイブで、それだけでメールが届いたとわかった。まだアンテナがちかちか点滅しているうちに携帯を開くと、しーちゃんからのメールが届いていた。
「場所取り、ご苦労さま。宴会で食べたいものがあったら、あとでメールしてね。高島屋の地下に寄ってからそちらへ向かいます。今日は十七時からの予約のお客さまが終われば、仕事はすぐ終われます。今日は全員揃うのかな? たのやん、もうちょっとがんばってね。」
 四条河原町のエステで働くしーちゃんは、お客としてやって来る女の子たちからその可愛らしさゆえモテモテだという。メールの本文も絵文字なんてひとつも使われていないのに、最後にしーちゃんの笑顔とハートマークが見えるようだった。
 ちょうど空腹で頭を悩ませていたわたしは、すぐに携帯を返信画面にし、焼き鳥とパステルのプリンを買ってきてと書いて、送信ボタンを押した。送ってから、焼き鳥はタレではなく塩で、プリンは抹茶プリンがいいと細かい指定をしなかったことに気づき、もう一度追伸で送ろうかと思ったけれど、きっとわたしの好みを熟知しているしーちゃんなら、間違いなく望みのものを買ってきてくれるだろうと信じ、携帯をカバンにしまった。

 しばらく退屈でのた打ち回るようにシートの上でゴロゴロしていると、頭の上からカラフルなスタッフジャンパーの袖とレジ袋がぬっと現れた。起き上がって袋を受け取ると、腕の主、木下くんは眠そうな顔で欠伸を噛み殺していた。
「よお。」
「あー、木下くん。とりあえず、トイレ行かせて。」
 わたしはスニーカーを履くのももどかしく、一目散でトイレへと走った。
 一息ついて戻ってくると、シートの上で木下くんはごろりと横になっていた。遠目からでも精根尽き果てた雰囲気が感じられ、わたしは静かにスニーカーを脱いで彼の左肘あたりに腰を下ろした。
「これ、ありがとね。早速、いただきます。」
「あー、どうぞ。お茶はこれね。」
 実家が経営するドラッグストアのスタッフジャンパーのポケットから取り出されたペットボトルのお茶は、つい今しがた自販機から出てきたことを伝えるに充分なほど冷たかった。こういうときは熱いお茶だろーと突っ込もうかと思ったけれど、レジ袋を開けると中には有名料理店の包装が施された花見弁当が入っていたので、やめておいた。
「伊勢丹、寄ってくれたんや。」
「うん。」
「さすがにおいしいわ。」
 箸を忙しく動かしながら、わたしは横目で目を閉じたままの木下くんを見下ろした。
「寝不足? お疲れのご様子で。」
「うん、昨日商工会の飲み会で、帰って来たの五時やねん。」
「何時に起きたん? 木下くんがいんでも、お店は店員さんに任せられるんとちゃうの?」
「いや、そうもいかん。ほんま、おもろい飲み会ならかまへんけど、愚痴ばっかりのオヤジらとの飲み会じゃ、苦痛極まりない。」
「二代目も大変やね。」
 ははははと乾いた笑いをこぼしたけれど、彼はすでにすーすーと寝息を立てていた。自営業でも昼休みは一時間なのだろかと心配しつつも、とりあえずお弁当をたいらげる間は寝かせておこうと毛布を掛けてあげた。
 お弁当をたいらげたら、途端にわたしはまた手持ち無沙汰になった。無意識にペットボトルを両手の中で回していると、残り少ないお茶がちゃぽちゃぽと音を立てた。
 陽が暮れるまで、みんなが集合するまで、時間を逆算するとため息が出そうだった。今年のお役目を果たしたら、当分はこの退屈から逃れることはできる、あとはそう言い聞かせて、やり過ごすしかないなと思ったところで、今年で六年目のこの会もあと何回続くのだろうかと木下くんを横目で見た。が、薄く口を開けて寝ている彼の顔に答えが書かれているはずもなく、そろそろ起こし時だろうと強く肩を揺すった。

 なかなか起きない木下くんにいい加減手を焼いていると、おーい、と言う声が遠くから聞こえた。桜の咲き乱れる丸山公園は昼を過ぎていつの間にか行きかう人の姿も増え、その人垣の向こうから自転車に乗ってベージュのコートの裾をひらひらさせながらサジがやって来た。
「お疲れ。」
 サジはブックファーストのカバーの掛かった本を渡してくれた。
「これ、四五時間で読めるかー?」
「おもしろいから、読める読める。もう昼は食った?」
「うん、木下くんにお弁当差し入れてもらった。」
「で、こいつはなんでここで寝てんの?」
「寝不足やねんて。でも、起こしてるけど起きひんねん。もう昼休み終わると思うねんけど。」
 サジは任せとけ、と木下くんに手早く逆エビ固めをかけた。技をかけられた木下くんはシートを掌で叩きながら、もう起きたってと怒鳴った。そして左腕の時計を見、またなとあわてて帰って行った。
「今日はみんな集まんの?」
「ゲンさんとこには、実が行けるかどうか危ういという以外は大丈夫みたいやで。扶美は早く来てくれるらしいけど。」
 缶コーヒーを飲み終えるとサジもあわただしく立ち上がったので、わたしはそれを制して、トイレに行かせてと彼を再び座らせた。
 寒さがだんだん身に沁みてきたなと薄い影のできた日向で体をほぐして戻ってくると、シートの上に人が増えているのが見えた。白いうなじがちらっと見えるラインで揃えられた茶色い髪が、サジの大きな声と体にシンクロするように揺れていた。

「お疲れー。」
 午前中だけ仕事をしてきたはずの扶美は一度うちへ帰ったのか、ジーンズ姿で傍らには大きなカバンを置いていた。
「じゃあ、オレ行くわ。また夜にな。」
 扶美はじゃあねーとサジを見送った笑顔のままで、わたしのほうへと振り向いた。
「サジ、痩せたね。」
 そうやねと答え、扶美とふたり視線を合わせてひっそりと笑った。それだけで充分だというように扶美は表情をくるっと変えて笑顔になり、大きなカバンに手を突っ込んだ。
「そうそう、たのやん、寒かったやろ? 湯たんぽ持ってきたよ。」
「あー、ありがたい。じっとしてると底冷えしてきてさぁ、さっきからトイレ行ってばっかりやねん。」
 渡された湯たんぽを抱きしめていると、思わずオヤジくさい声が漏れた。扶美はそんな声出して、と嗜めながら、カイロにマフラー、ウインドブレーカー、そして小さめの座布団など防寒グッズを次々に披露した。
「さすが、扶美。」
「去年の教訓です。」
「そっか。ま、あとでお礼にうちのビール、浴びるほど飲んでなー。」
 酒造メーカーに勤めるわたしは、毎年この花見に一ダースのビールを差し入れするのが常で、今年は場所取り役になったため、夕方営業部にいる後輩にここまで届けてもらうように頼んでいた。
「時間、潰せてた?」
「全然。サジに本頼んだくらい。でもいらんかったわ。こんなに早く来てくれると思わへんかった。」
「仕事昼までで上がれたしね。ゲンさん、幹事や言うても自分は事前の段取りと後片付けだけしかできひんし、行けたら早めに行ったってって気にしてた。」
「それで充分やのにね。忙しいんやっけ?」
「どうやろ? 今日は定時には終われるらしいから、休めへんだけなんちゃう?」
「そうそう、今年のゲンさんの案内、直筆やったやん。みんな最近はメールやのに、さすがザ公務員やと思ったわ。」
「わたしも何ごとかと思った。仕事中、黒い腕カバー付けてるだけあるねー。」
「そうやった、そうやった。それ何年前に聞いた話やっけ。」
「うーん、就職した次の年かな。いや、その次の年か。」

 扶美とふたりになって、閉じがちだった口も滑らかになり、心なしか陽射しも強くなってきたような気がした。話題が、お互いの仕事に恋愛、洋服や化粧品などの話と、いつものパターンで進んだところで扶美の携帯が鳴った。
「あ、ゲンさんや。」
 扶美はボタンを押し、一言もしゃべらないままわたしに電話を押し付けた。
「あ、たのやん。電話したのに。」
「ごめん。バイブにしてたから、気づかへんかった。」
「しゃべりに夢中で、の間違いちゃうんか。オレ定時に終わったら、木下と買出しして行くから。たぶん予定通りに行ける。」
「あ、木下くんがおつまみばっかり買いそうやったら、止めてや。リストどおり、ちゃんとお惣菜とかお寿司とか買ってきてよ。」
「わかってる。じゃ、あとでなって、忘れるところやった。実からメール来てたから、転送しとく。」
 はーいと間延びした返事をすると、ゲンさんは父親のようにはーいじゃなくてはいだろ、と言い残して電話を切った。
 わたしは着信アリと表示された携帯を開き、転送されてくるメールを待った。画面はすぐに羽のついた封筒のイラストが現れ、手の中で携帯が小さく震えた。メールを開封すると、見慣れたはずの文字なのに、筆不精の実からだと思うと携帯で初めてメールを受信したときのようなきもちになった。

「今年も危うい。でも酒を飲みながら久しぶりの桜をゆっくり見たいので、できるだけ頑張ります。」

 横から携帯を覗き込んでいた扶美は、電気メーカーの研修室勤めの、実が相変わらず一番忙しそうやねと呟いた。
「このさ、久しぶりの桜って、なに。」
「さあ。」
「桜が一年ぶりなのは、みんな一緒やのにね。」
「ほんまやわ。」
 一瞬、頭上の桜を写メにして実へ送ろうかと思ったけれど、ここは願掛けだと携帯を閉じた。三十を前にしてそれぞれが手に余るものを抱えている中で、みんななんとかこの集まりにはスケジュールを調整してやって来る。けれど、去年そろそろ片付けようかと言い始めたころにやっと顔を出した実が、一番今年のこの会に強い思い入れがあるのは間違いないようだ。
「でも毎年咲くのに、なんでこうしてこぞって見ようとするんやろ。自分も含めてやけど。」
 いつもの桜の木を去年と同じように下から見上げながら、わたしは小さい声で言ってみた。半分ひとり言のようなものだったから、扶美からの返事がないことは気にしていなかった。むしろちょっと神妙に言ってしまった自分の言葉を聞き流してくれてよかったかも、と思ったところで、扶美がぽつりと呟いた。
 同じように見えて、来年の桜は違うかもしれん。

 宴まであと五時間。それはとてつもなく遠いように感じる。でももっと長い時間を経る来年、再来年、五年後、十年後のこの桜が実は待ち遠しい。ただし、当分副幹事のお役目が回って来なければ、だ。
 わたしはちょっとごめん、とせわしなく立ち上がり、扶美に笑われながら今日三度目のトイレへ走った。





 ◆お題     「湯たんぽ」 「自転車」 「久しぶりの桜」
 ◆出題者   caosoiサマ
 ◆caosoiサマ へ
 第2幕のオチじゃなく、トリにふさわしく(?)、たくさん人を登場させたました。
 嘘です。意味はありません。
 桜、というキーワードが花見、宴会を連想させたもので。

 ふたつも「さんご」に応募するなんて! 大胆不敵!
 いえいえ、ご参加ありがとうございます。
 書いてて長いなーと思いましたが、半分くらい会話やし、まあええかと。
 書きながら、久しぶりの桜が見たいと思っていました。
 春ためらい、なんて書きながら、ひと足先に春を味わった感じです。
 ありがとね。
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by fastfoward.koga | 2008-03-15 21:02 | さんご