言霊の幸わう国

左手の人

 出会う順番。
 ある人は先日、そう言った。
 わたしはそれはどうすることもできないことだと、言い放った。
 でも、思うことはある。
 あと少しタイミングがずれていたらよかったのに、と。

 いつもすきな人には右手を伸ばす。
 キーボードを打つ以外は右手以上もしくは同等の動きをすることのできない左手ではなく、利き手である右手を相手へ預けることは、わたしにはそれなりに訳があるのだ。

 今まで出会った人の中で、左手しか差し出せなかった人がいる。
 それは両手を天秤にかけてそう選択した場合もあれば、たまたま右手が塞がっていたからそうせざるを得なかった場合もある。
 そう、たまたま。
 そんなふうに思っていたこともある。
 でもそれはやっぱり順番と同じで、そうすることしかできなかったのが事実なのだと今なら言える。

 岸からボートが流れにのって離れてゆくときに、近づいたと思ったのに左手を出したがために掴み損ねた手。
 どっちがそうしたのかと言われれば、わたしがそうした。
 悪いけれど、やっぱり左手を本能的に差し出したのが答えなのだ。
 左手だから、仕方がない。
 そんなきもちで。

 今日気づいた。
 ボートが浮かんでいたのは川だと思ったのに、それはどうも池だったようだ。
 わたしは、その池の周りをこの1年の間歩き回っていた。
 気づくと、ボートは静かに岸へと寄り添い、その姿を見て1年前ちょうど同じあたりを歩いていたときのことを思い出した。
 でも、それだけだ。
 もう1周したら、きっとわたしは池から離れて、ボートがあったことすらも忘れてしまうだろう。
 少しずつ。少しずつ。

 同じように、忘れてほしい。
 なんの感情も持たず、風で砂が舞うようにさらさらと忘れてくれたらいい。
 と、今日の昼、思わぬところでボートの姿を目にして、思った。

 春の池の水のように、わたしはなんと冷ややかなのか。 
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by fastfoward.koga | 2008-04-02 22:47 | 一日一言