言霊の幸わう国

くるりとわたし

 今、くるりの「横濱ウィンナー」を見ている。
 昨年末にパシフィコ横浜で行われたライブが収録されたDVD。

 昨日初めて見たとき、118分の間になんどか泣いた。
 泣いた、というか、泣けた。泣けてしゃあなかった。

 2度の「ブレーメン」に、「春風」、「さよなら春の日」、「WORLD'S END SUPERNOVA」、アンコールの「男の子と女の子」。
 見ながら、きもちが正座してるわと思った。
 そのくらいのきもちで対さんと申し訳ないくらい、熱のこもったライブやった。

 なんで見に行かへんかったんか。
 失恋ごときに負けて、と半年前の自分を責めた。
 しょうもない一時の感情に流されて、もういいと諦めたことが自分を1番後悔させた。

 そんなちっちゃいきもちを抱く反面、くるりはほんまにすごいことをしはったんやなと、映像に垣間見るいくつもの場面で胸を熱くした。
 きっとくるりをもっと離れたところから見たら、この人らはまあがんばったはるけど、結構うまくやってきたほうやんな、てなことを思うかもしれん。
 でもほんまにいろんなことを乗り越えたり、蹴飛ばしたり、突き飛ばしたりして、数々の音楽を生み出してきはったんやなということを、なぜかいつもライブを見ているときに考える。
 かと言って、ふたりがむっちゃしんどかったですー、というような姿を見せびらかしているわけじゃない。
 ただ、ライブを見ていると、作り出す音の端々にそういうものを感じる。
 でもそれを超えるくらいのもっと大きい喜びとか楽しさを必ず見せて聴かせてくれるから、どんどん虜になっていく。
「思い出くるりん」の本の中で、リリー・フランキーが「(中略)悲しみや絶望が深まるほど、岸田くんは 美しいメロディを 生み出している 気がしています。」と書いていたけれど、これを読んで力強く頷いた。


 先日の2本のライブを見ながらも、なににこんなにきもちが揺さぶられるのかと考えてた。
 初めは懐かしさやろか、と思ったりした。
 けれどどうもそれではしっくりきいひんし、間違いではないけど答えとしては遠からず近からずという感じがした。
 結局なんなんかは未だわからんけど、とにかくあの音楽とそれが作られるまでに注ぎ込まれた熱が、琴線にびしびし触れるんやろう。


 しかし、ライブをステージの近くで見るといつも、岸田くんはメガネをしていないと生まれたての動物の赤ちゃんみたいな目ぇやなぁと思う。
 歌いながらじーっとお客さんを見て、どんなことを考えてるんやろう。
 あの目にはどんなものが見えているのか、見てみたい気がする。
 そやし、最近はメガネをしてない岸田くんのほうがすき。


 いいなと思う。
 こういうすきなものがあって、いいなと思う。
 パシフィコ横浜のライブに行かへんかったことをほんまに後悔したから、今回は迷わずトーキョーへ行った。
 アンコールまで見られへんかった日もあったし、オールスタンディングは結構きつくなってきたけど、それでも行ったのは正解やった。

 でも、いつか行けなくなる日がくるかもしれん。
 行けなくてもいいと思うくらい、もっと大切なものができるかもしれん。
 そのときはきもちよく、スッパリ、この思いは置いていく心積もりをしてる。
 なんとなく、大切なものとはそういうものやでとくるりから言われているような気がしてるから。
 まだ見えもしていない先のことをそんなふうに思うのは、あほみたいやけど。 


 ちなみに、くるりは今月のライブからまた新しいバンド編成になった。
 相変わらず、無敵なバンドや。
 久々に鍵盤が入った「ばらの花」は、お風呂に入ったときのような、えぇわーという言葉を思わず洩らした。
 対バンツアーも、夏フェスも、きっとおもしろいことになるやろう。



 こういうことを書くのはどうかなと思いながら、今しか書けへんなとためらわずキーボードを叩きました。
 つまらんかった人、京都弁は読みにくかった人、ごめんな。 
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by fastfoward.koga | 2008-05-25 22:01 | 一日一言