くるくる回る 静かな町に巻き起こる風
2008年 09月 14日
富山3日目の朝。
わたしは富山駅から高山本線のローカル電車に乗った。
目指すは、八尾(やつお)。
電車が動き出すとすぐに、次の旅の予習として太宰の「津軽」を読み始めた。
すると、1つ目の西富山駅で下り電車が遅れているから待ち合わせでしばらく停車する、とアナウンスが入った。
1両だけの空いた車内は、それを聞いても誰も騒がない。
のんびりと電車旅は始まった。
予定より少しだけ遅れて、電車は越中八尾駅に到着した。
ここ八尾は9月初めに「あわら風の盆」がおこなわれることで有名な町だ。
遠回りであることを承知し、巡回バスに乗る。
八尾のコミュニティを順々に回るバスの中、風の盆のときには多くの人で賑わうこの町の日常の顔をいくつも見た。
当たり前なのだけれど、ここにも生活している人がいるのだ。
八尾は静かな町だった。
風の盆に1年の焦点を合わせているのか、静けさの中にぐつぐつとマグマのようなエネルギーが見えないところで沸いているんだろうなと、勝手に思った。
バスを降りても観光客らしき人は見かけず、1番先に向かった八尾おわら資料館にもお客さんは誰もいなかった。
資料館の人も事務室にはおらず、向かいの休憩室で胡弓の練習をされていた。
胡弓は、祭りでおわら節を演奏するのに欠かせない。
もう少し聞いていたかったなと思っていると、その男性は丁寧に順路を説明してくれ、まずは映像展示室に入って明るくなるまでは見ててくださいねと言った。
どこもかしこもひとりっきり。
映像展示室も、わたしひとりのために動かしてもらうには申し訳ないくらいの仕掛けと大きさだった。
がらんとした部屋の中で映し出される映像を、じっと、できうる限り祭りにかける町の人の思いを想像しながら見た。
でも自分にないものを想像するのは難しい。
資料館を出たあと、八尾の町をぶらぶら歩いた。
ここは縦に長い町で、長い路地がずっと先まで伸び、その先がすっと上っている。
まるでゴールはここだと言っているようだ。
誘われるように先を目指していると、途中に鎖で繋がれた犬がいた。
近づいても一向に吠える様子はなく、見つめるだけできもちが読めないかとじっと見つめてみたりした。
若宮八幡社にお参りしたり、石鹸屋さんを覗いたり、観光地観光地していない町並みをぶらぶらと歩いた。
あまり時間がなくひと回りと言うほども見て回れず、駅に向かうバスがちょうどいい時間でなかったので、仕方なく歩くことにした。
タクシーを呼んでもいいなと思ったのだけれど、おみやげ屋さんのおばさんに歩いたら若い人の足なら35分くらいで行けますよと言われてしまったので、それもいいかと思ったのだ。
越中八尾駅に着いたときには雨が一瞬パラッとするような空だったのに、歩き始めると陽が差し出した。
何度もポイントになる場所を確認しながら地図を片手に歩いていると、向こうから歩いてきたメガネをかけたおばさんに話しかけられた。
八尾駅はどっちに行けばいい?
関東弁のシャープな話し方の女性で、駅とは反対側を指してそう言うので、いえいえ駅とは逆ですよ、わたしも駅へ行きますけど歩くと35分くらいかかるみたいですよと答えると、おばさんはあらそうなの、と自然と並んで歩き始めた。
おばさんは急に思い立って東京から来たこと、高層マンションに住んでいること、国内国外問わずあちこちへ出かけていることなどを、相槌を打つだけのわたしに向かって話した。
聞いていると前日は高山辺りで1泊しているようなのに、そうとは見えない身軽な格好で、カバンも小さいものを提げているだけだった。
おもしろい人だなと思う反面、このまま駅まで一緒なのだろうかと少し不安に思っていると、バス停を通り過ぎるようとしたときに後ろから富山行きのバスがやって来た。
おばさんはそれを見つけると、話の途中にも関わらずさっと走って飛び乗った。
呆気にとられながらも、気をつけてとその背中にわたしが声をかけると、おばさんは片手を上げてそれに答えバスの中へと消えていった。
まるで、小さな竜巻のようだった。
駅まではまだあと20分くらいか。
背中のリュックを背負い直し、ただ前へ前へ進む旅人のようなきもちで足をまた踏み出した。
わたしは富山駅から高山本線のローカル電車に乗った。
目指すは、八尾(やつお)。
電車が動き出すとすぐに、次の旅の予習として太宰の「津軽」を読み始めた。
すると、1つ目の西富山駅で下り電車が遅れているから待ち合わせでしばらく停車する、とアナウンスが入った。
1両だけの空いた車内は、それを聞いても誰も騒がない。
のんびりと電車旅は始まった。
予定より少しだけ遅れて、電車は越中八尾駅に到着した。
ここ八尾は9月初めに「あわら風の盆」がおこなわれることで有名な町だ。
遠回りであることを承知し、巡回バスに乗る。
八尾のコミュニティを順々に回るバスの中、風の盆のときには多くの人で賑わうこの町の日常の顔をいくつも見た。
当たり前なのだけれど、ここにも生活している人がいるのだ。
八尾は静かな町だった。
風の盆に1年の焦点を合わせているのか、静けさの中にぐつぐつとマグマのようなエネルギーが見えないところで沸いているんだろうなと、勝手に思った。
バスを降りても観光客らしき人は見かけず、1番先に向かった八尾おわら資料館にもお客さんは誰もいなかった。
資料館の人も事務室にはおらず、向かいの休憩室で胡弓の練習をされていた。
胡弓は、祭りでおわら節を演奏するのに欠かせない。
もう少し聞いていたかったなと思っていると、その男性は丁寧に順路を説明してくれ、まずは映像展示室に入って明るくなるまでは見ててくださいねと言った。
どこもかしこもひとりっきり。
映像展示室も、わたしひとりのために動かしてもらうには申し訳ないくらいの仕掛けと大きさだった。
がらんとした部屋の中で映し出される映像を、じっと、できうる限り祭りにかける町の人の思いを想像しながら見た。
でも自分にないものを想像するのは難しい。
資料館を出たあと、八尾の町をぶらぶら歩いた。
ここは縦に長い町で、長い路地がずっと先まで伸び、その先がすっと上っている。
まるでゴールはここだと言っているようだ。
誘われるように先を目指していると、途中に鎖で繋がれた犬がいた。
近づいても一向に吠える様子はなく、見つめるだけできもちが読めないかとじっと見つめてみたりした。
若宮八幡社にお参りしたり、石鹸屋さんを覗いたり、観光地観光地していない町並みをぶらぶらと歩いた。
あまり時間がなくひと回りと言うほども見て回れず、駅に向かうバスがちょうどいい時間でなかったので、仕方なく歩くことにした。
タクシーを呼んでもいいなと思ったのだけれど、おみやげ屋さんのおばさんに歩いたら若い人の足なら35分くらいで行けますよと言われてしまったので、それもいいかと思ったのだ。
越中八尾駅に着いたときには雨が一瞬パラッとするような空だったのに、歩き始めると陽が差し出した。
何度もポイントになる場所を確認しながら地図を片手に歩いていると、向こうから歩いてきたメガネをかけたおばさんに話しかけられた。
八尾駅はどっちに行けばいい?
関東弁のシャープな話し方の女性で、駅とは反対側を指してそう言うので、いえいえ駅とは逆ですよ、わたしも駅へ行きますけど歩くと35分くらいかかるみたいですよと答えると、おばさんはあらそうなの、と自然と並んで歩き始めた。
おばさんは急に思い立って東京から来たこと、高層マンションに住んでいること、国内国外問わずあちこちへ出かけていることなどを、相槌を打つだけのわたしに向かって話した。
聞いていると前日は高山辺りで1泊しているようなのに、そうとは見えない身軽な格好で、カバンも小さいものを提げているだけだった。
おもしろい人だなと思う反面、このまま駅まで一緒なのだろうかと少し不安に思っていると、バス停を通り過ぎるようとしたときに後ろから富山行きのバスがやって来た。
おばさんはそれを見つけると、話の途中にも関わらずさっと走って飛び乗った。
呆気にとられながらも、気をつけてとその背中にわたしが声をかけると、おばさんは片手を上げてそれに答えバスの中へと消えていった。
まるで、小さな竜巻のようだった。
駅まではまだあと20分くらいか。
背中のリュックを背負い直し、ただ前へ前へ進む旅人のようなきもちで足をまた踏み出した。
by fastfoward.koga
| 2008-09-14 12:28
| 旅行けば
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